小須田潤太選手は、2026年3月のミラノ・コルティナパラリンピックで金メダル候補として注目されるパラスノーボーダーです。
2025年の世界選手権で日本人初の金メダルを獲得し、開会式の旗手にも抜擢された彼の強さに迫ります。
小須田潤太選手が金メダル候補と言われる理由とは?
小須田潤太さんが金メダル候補と言われる理由、それは2025年3月のパラスノーボード世界選手権で、日本人初となる金メダルを獲得したからです。
この快挙により、一躍ミラノ・コルティナ2026パラリンピックの金メダル候補として世界中から注目を集めるようになりました。

引用元:小須田潤太Instagram
世界選手権バンクドスラローム(LL1クラス)での優勝は、日本人パラスノーボーダーとして初めての快挙でした。
決勝では、強豪のクリス・ボス選手(オランダ)に2秒近い差をつけてゴールしたそうです。
すごいですね!
しかし、小須田さん本人は「優勝できたからといって自分は世界一だとは思っていません」と謙虚な姿勢を崩しません。
「アメリカのノア・エリオット選手やオランダのクリス・ボス選手には、まだ追いかけている感じです」とインタビューで語っています。
この冷静な自己分析こそが、さらなる成長への原動力になっているんですよね。
また、小須田さんは2026年ミラノ・コルティナパラリンピックの開会式で日本選手団の旗手に選ばれました。
これは日本パラリンピック委員会からの大きな期待の表れです。
旗手という大役を任されるのは、競技成績だけでなく、人柄やリーダーシップも評価されている証ですよね。
私も介護の現場で、障がいのある方々と接する機会が多いのですが、小須田さんのように自分の限界に挑戦し続ける姿勢には本当に頭が下がります。
夢に向かって努力を重ねる姿は、誰が見ても心を動かされるものだと思います。
小須田潤太選手の主な戦績と実績を紹介
小須田潤太さんの華々しい戦績を見ていきましょう。
短期間でここまで成長した背景には、圧倒的な努力と才能があります。
世界選手権やワールドカップでの成績
2025年の世界選手権(カナダ)での優勝が、小須田さんのキャリアの中でも最も輝かしい成績です。
バンクドスラロームで日本人初の金メダルを獲得し、スノーボードクロスでも5位入賞を果たしました。
ワールドカップでの成績も目を見張るものがあります。
2023年のフィンランド大会では、スノーボードクロス(LL1)で初優勝を飾りました。
1日目に優勝、2日目も2位という安定した成績です。
また、同年のイタリア大会でも1日目3位、2日目優勝と表彰台の常連となっています。
2024年のフィンランド大会では、スノーボードクロスで両日とも3位入賞。
コンスタントに結果を残し続けているところが、小須田さんの強さの証明ですね。
2023年の世界選手権(スペイン)では、スノーボードクロスで5位という成績を残しています。
当時はまだ世界トップレベルとの差があったものの、わずか2年後の2025年には世界チャンピオンに輝くという驚異的な成長を遂げました。
介護の仕事をしていると、継続的な努力の大切さを実感することが多いんです。
小須田さんの成長曲線を見ていると、まさに「継続は力なり」を体現していますよね。
一歩一歩、着実に積み上げてきた時間が、今の実力につながっているんだと思います。
過去のパラリンピックでの結果は?
小須田さんは、これまでに夏季と冬季の両方のパラリンピックに出場した「二刀流アスリート」です。すごいですね!
**東京2020パラリンピック(陸上競技)**では、走り幅跳び(T63クラス)で7位入賞を果たしました。
この大会では自己ベストの5.95mを記録し、100m競技では10位という成績でした。
初めてのパラリンピックで、プレッシャーの中でも自己ベストを更新する精神力の強さが光ります。
その半年後の**北京2022パラリンピック(スノーボード)**では、スノーボードクロスで7位入賞、バンクドスラロームで10位という結果を残しました。
当時はスノーボード歴が浅く、年間でわずか10日間ほどしか雪上に立っていなかったそうです。
それでも入賞を果たすあたり、持ち前の運動センスの高さが伺えますね。
小須田さん自身も「当時は何も考えずにパラリンピックまで行っちゃった」と笑顔で振り返っています。
しかし、この経験が後の飛躍的な成長につながったんですよね。
失敗を恐れず、まずは挑戦してみる。その姿勢が大切だと、改めて感じさせてくれます。
強さの秘密!競技スタイルと得意技
小須田潤太さんの強さには、確かな技術と戦略があります。
ここでは、彼の競技スタイルと得意技を詳しく見ていきましょう。

引用元:小須田潤太Instagram
どんな種目が得意?
小須田さんが出場する種目は、バンクドスラロームとスノーボードクロスの2種目です。
バンクドスラロームは、傾斜のついたカーブ(バンク)が連続するコースを2回滑走し、ベストタイムを争う競技です。
こちらが小須田さんの最も得意とする種目で、2025年世界選手権では見事に金メダルを獲得しました。
スノーボードクロスは、複数の選手が約1kmのコースを滑り降り、順位を競う種目です。
ジャンプやバンクターンなどの障害物が設置されており、スピードだけでなく、駆け引きや瞬時の判断力も求められます。
バンクドスラロームでの優勝後、小須田さんは
「ミラノでは金メダル2つが目標です。2人目の子どもが産まれたので、それぞれに同じ色のメダルをかけてあげたいんです」と語っています。
家族への愛情が、さらなるモチベーションになっているんですね。素敵です!
私も登山が趣味なのですが、山を登るときの「一歩一歩着実に」という感覚と、スノーボードでのターンの精度を高めていく過程って、どこか似ているなと感じます。
小須田さんの丁寧な技術の積み重ねが、世界トップレベルの実力につながっているんでしょうね。
技術面での特徴や武器
小須田さんの最大の武器は、義足の右脚を後ろ足にしたレギュラースタンスでの「絶品ヒールターン」です。
コーチの元木勇希氏からも「小須田のヒールターンは絶品!」とお墨付きをもらっています。
ヒールターンとは、かかと側のエッジを使って曲がる技術のことです。
小須田さんは、義足の右脚が後ろ足になるため、膝折れを気にせずにターンできる点が大きな強みになっています。
この安定感が、スピードを落とさずに正確なラインを描くことを可能にしているんですね。
また、パラ陸上で鍛えたスタートダッシュも小須田さんの武器の一つです。
スノーボードクロスでは、スタート直後の加速が勝敗を大きく左右します。
陸上競技で培った瞬発力が、雪上でも活きているわけです。
さらに、「板と雪の感覚がわかるようになってきた」と小須田さん自身が語るように、細かい感覚のコントロールが年々磨かれています。
元木コーチの指導のもと、頭を使いながら滑ることで、技術的な成長が加速しているそうです。
2023年から元木コーチが就任したことが、小須田さんの飛躍的な成長につながっています。
「本当に細かい感覚を指摘され続けた」と振り返る小須田さん。
コーチとの出会いが、世界チャンピオンへの道を切り開いたんですね。
そして、何より大切なのが圧倒的な練習量です。
2025年は、フランス、アメリカ、ニュージーランド、アルゼンチンなど海外へ行き、毎月、月の半分ほどは雪上に立つようにしていたそうです。
「雪の上にいる時間がすべて」というコーチの言葉通り、量をこなすことで質も向上していったんですね。
パラスノーボードを始めたきっかけ〜事故と障がいについて
小須田潤太さんがパラスポーツに出会うまでには、大きな転機がありました。
ここでは、彼の人生を変えた事故と、障がいを乗り越えてスポーツに挑戦するまでの道のりを紹介します。
どんな事故だった?
小須田さんは21歳の時、2012年に交通事故で右脚の大腿部を切断しました。
事故の詳細は、引っ越し業者でアルバイトをしていた際、トラックを運転中に居眠り運転で自損事故を起こしてしまったそうです。
大学も2年生で中退し、契約社員として働き始めていた矢先の出来事でした。
小須田さんは当時を振り返り、「右脚を失ってから走ることなど考えもしなかった」と語っています。
突然の事故で人生が一変し、絶望的な気持ちになったことは想像に難くありません。
事故後、小須田さんは約3年間、何もせず毎日飲み歩いていたそうです。
前向きに考えられず、自暴自棄になっていた時期があったんですね。
しかし、この暗闇の時期を経験したからこそ、後の飛躍につながったとも言えます。
私も介護の現場で、突然の事故や病気で人生が大きく変わった方々と接する機会があります。
誰もが最初から前向きになれるわけではないですし、時には立ち止まる時間も必要ですよね。
小須田さんの正直な姿勢に、共感する方も多いのではないでしょうか。
障がいを乗り越えてスノボへ
小須田さんの人生が動き出したのは、事故から3年後、24歳の時に参加した下肢切断者向けのランニング教室がきっかけでした。
この教室で競技用の義足を装着して走ったとき、衝撃を受けたそうです。
「右脚を失ってから走ることなど考えもしなかった」という小須田さんにとって、再び走れる喜びは計り知れないものでした。
参加者の一人が、グラウンドを颯爽と走る姿を見て、「自分にもできるかもしれない」と希望が芽生えたんですね。
こうしてパラ陸上の世界に飛び込み、東京2020パラリンピックで走り幅跳び7位入賞という結果を残しました。
一方、パラスノーボードとの出会いは2017年でした。
「とりあえず滑ってみよう」という軽い気持ちで、友達を誘って普通の義足でスノーボードをやってみたところ、なんとなく滑れたそうです。
それで翌年には大会に出場し、その年の夏には代表チームに入ることができました。
小須田さん自身も「パラスノーボードの競技人口は劇的に少ないんです。自分は運が良かった」と謙虚に語っています。
しかし、運だけでは世界チャンピオンにはなれません。
持ち前の運動センスと、何より諦めずに挑戦し続ける姿勢が、今の活躍につながっているんです。
私が登山をしていて感じるのは、一歩一歩確実に歩みを進めることの大切さです。
小須田さんも、事故後の3年間という暗闇のトンネルを抜け、ランニング教室という小さな一歩から始めて、今では世界の頂点を目指しています。
人生、いつどこで転機が訪れるかわからないものですよね。
実はイケメン!SNSやメディアでの評判
小須田潤太さんは、競技の実力だけでなく、爽やかなルックスと誠実な人柄でもファンから人気を集めています。
Instagram(@junta.kosuda)では、トレーニング風景や大会での様子、家族との日常などを発信しており、フォロワーからは「イケメン!」「応援しています!」といった温かいコメントが多数寄せられています。
特に、笑顔の写真が投稿されると「素敵な笑顔ですね」「元気もらえます」といった反応が目立ちますね。
メディアでも、小須田さんの人柄の良さが度々取り上げられています。
J:COMのインタビューでは、「事故をきっかけに人生と向き合い直した」というテーマで、障がいを負ったからこそ得られたものについて語っています。
その真摯な姿勢に、多くの視聴者が共感を寄せました。
また、味の素社の公式YouTubeチャンネル「This is me」シリーズでは、小須田さんの日常やトレーニング、金メダルへの想いが丁寧に描かれています。
「静かな覚悟と、積み重ねの日々」というテーマで、アスリートとしての真剣な表情と、普段の柔らかな笑顔のギャップに魅力を感じるファンも多いようです。
所属するオープンハウスグループのPR活動でも、小須田さんはパラスポーツの魅力を広める役割を担っています。
子どもたちを対象にした体験イベント「O-EN KIDS チャレンジ」では、障がいのある子どもたちに競技用義足の体験やランニング教室を提供し、夢を応援する活動を続けています。
SNSでの発信も、決して自慢話ではなく、日々の努力や感謝の気持ちを素直に表現しているところが好感度が高い理由ですね。
「おかげさまで」「ありがとうございます」といった謙虚な言葉が多く、周囲への感謝を忘れない姿勢が伝わってきます。
小須田潤太選手の簡単プロフィール
ここで、小須田潤太さんの基本的なプロフィールをまとめて紹介します。
年齢や出身地は?
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小須田 潤太(こすだ じゅんた) |
| 生年月日 | 1990年10月5日 |
| 年齢 | 35歳(2026年3月時点) |
| 出身地 | 埼玉県所沢市 |
| 現住所 | 千葉県野田市 |
| 出身校 | 所沢市立安松小学校・安松中学校 埼玉県立所沢中央高等学校 |
小須田さんは1990年生まれの35歳です(2026年3月時点)。
埼玉県所沢市で生まれ育ち、現在は千葉県野田市に住んでいます。
所沢市と野田市の両方から「ゆかりの選手」として応援されており、地元の方々からも熱い声援が送られています。
地元の小中学校、高校を卒業後、大学は2年生で中退していますが、その後の人生で大きな成功を収めているところが素晴らしいですよね。
パラスノーボードの選手としては「チームでは若い方」と小須田さん自身が語っていますが、35歳という年齢でもまだまだ成長し続けられると確信しているそうです。
実際、チームには10歳以上年上の先輩たちがどんどんうまくなっている姿を見せてくれているとのこと。
年齢を言い訳にせず、挑戦し続ける姿勢が魅力的です。
所属チームや活動拠点
小須田さんは、株式会社オープンハウスグループに所属しています。
オープンハウスグループは不動産会社として知られていますが、「挑戦する人を応援する」という企業理念のもと、パラアスリートの支援に力を入れています。
小須田さんは2016年にオープンハウスグループに入社し、現在は社員としても働きながら競技活動を続けています。
会社員とトップアスリートの両立は簡単ではありませんが、企業側の手厚いサポートと理解があるからこそ実現できているんですね。
オープンハウスグループは、特例子会社「株式会社オープンハウス・オペレーションズ」を設立し、障がい者雇用の拡充と合理的配慮の促進に取り組んでいます。
企業として、障がいのある社員一人一人がやりがいを持って働ける環境づくりに注力しているそうです。
クラスは、スノーボードLL1クラス(下肢切断)、陸上競技T63クラス(義足)です。
活動拠点は日本国内だけでなく、海外でのトレーニングも積極的に行っています。
2025年は、フランス、アメリカ、ニュージーランド、アルゼンチンなど、雪のあるところを求めて世界中を飛び回っていたそうです。
私も新潟県出身なので、雪国育ちの感覚として、雪の上で過ごす時間の大切さは理解できます。
ただ雪があるだけでなく、質の良い雪、適切な斜面、最新の設備が整った環境で練習することが、世界トップレベルで戦うためには欠かせないんでしょうね。
ライバル選手や今後の目標は?
小須田潤太さんには、世界のトップレベルで戦うライバルたちがいます。
また、彼自身が掲げる高い目標についても紹介します。
小須田さんが最も意識しているライバルは、ノア・エリオット選手(アメリカ)とクリス・ボス選手(オランダ)です。
小須田さん自身も「この種目には現在最強のアメリカのノア・エリオットがいて、オランダのクリス・ボスも強い。彼らは自分より速くてスキルもある」と認めています。
世界選手権で優勝したとはいえ、「自分はまだ一生懸命後ろを追いかけている感じ」と謙虚な姿勢を崩しません。
しかし、この謙虚さこそが小須田さんの強さの秘密なんです。
現状に満足せず、常に上を目指し続ける姿勢が、さらなる成長を生んでいます。
ミラノ・コルティナ2026パラリンピックでは、「金メダル2つ」という明確な目標を掲げています。
バンクドスラロームとスノーボードクロスの両種目での金メダル獲得を目指しているんです。
「2人目の子どもが産まれたので、それぞれに同じ色のメダルをかけてあげたい」という家族への愛情が、大きなモチベーションになっています。
なんて素敵な目標でしょう!
さらに、小須田さんはミラノの先も見据えています。
「金メダルを獲った体で話すとすれば、連覇していきたいですよね」と語り、次の大会、さらにその次へと挑戦を続ける意欲を見せています。
35歳という年齢について、「チームでは若い方で、10歳も上の先輩たちがまだどんどんうまくなっている姿を見せてくれている」と前向きに捉えています。
「そこに到達するまで10年かかるし、まだまだ成長し続けられる。本当に何もできなくなるまでは、やれるまでは戦いたい」という言葉からは、強い意志が伝わってきますね。
そして何より、「スノーボードが楽しくて仕方がない」という純粋な気持ちが、小須田さんを突き動かしているんです。
「その気持ちが自分の中でなくならない限りは選手としてやっていきたい。子どもたちが理解できるくらいまではやり続けて、その姿を少しでも見せられたらいい」という言葉には、父親としての愛情も感じられます。
私も介護の仕事で、高齢になっても新しいことに挑戦する方々を見てきました。
年齢は単なる数字で、大切なのは「やりたい」という気持ちと実際に行動すること。
小須田さんの姿勢は、まさにそれを体現していますよね。
世間の反応やSNSの声
小須田潤太さんへの応援の声は、SNSやメディアで日々広がっています。
Instagramでの反応では、フォロワーから「金メダル期待しています!」「開会式の旗手おめでとうございます!」「いつも元気をもらっています」といった温かいメッセージが多数寄せられています。
特に、2025年の世界選手権優勝後には「日本人初の金メダル、おめでとうございます!」「ミラノでも絶対に応援します!」といった祝福のコメントで溢れました。
X(旧Twitter)でも、「#小須田潤太」「#パラスノーボード」といったハッシュタグで、多くの人が応援メッセージを発信しています。
NHKの番組「パラ道」での特集後は、「小須田選手の努力に感動した」「ミラノでの活躍が楽しみ」といった声が相次ぎました。
地元の所沢市や野田市の公式サイトでも、小須田さんの活躍が大きく取り上げられており、「市民の誇り」として紹介されています。
地元からの応援は、小須田さんにとっても大きな励みになっているはずです。
また、所属企業のオープンハウスグループも、公式SNSで積極的に小須田さんの活動を発信しています。
企業として「挑戦する人を応援する」という姿勢を示しており、社内外から好評を得ています。
一般のファンからは、「障がいがあっても諦めない姿に勇気をもらった」「家族のために頑張る姿が素敵」「謙虚な人柄に好感が持てる」といった声が多く聞かれます。
競技の実力だけでなく、人としての魅力も多くの人々を惹きつけているんですね。
私も、小須田さんの「スノーボードが楽しくて仕方がない」という言葉に心を動かされました。
仕事でも趣味でも、何かを続けるには「楽しい」という気持ちが一番大切ですよね。
まとめ:小須田潤太選手の金メダル獲得に期待!
小須田潤太さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
【要点まとめ】
・2025年3月の世界選手権バンクドスラロームで、日本人初の金メダルを獲得
・ミラノ・コルティナ2026パラリンピックの開会式で日本選手団の旗手に抜擢
・21歳の時の交通事故で右大腿部を切断し、24歳でパラ陸上を始めた
・東京2020パラリンピック(陸上)と北京2022パラリンピック(スノーボード)の両方に出場した夏冬二刀流アスリート
・得意技は「絶品ヒールターン」で、パラ陸上で鍛えたスタートダッシュも武器
・ライバルはノア・エリオット選手(アメリカ)とクリス・ボス選手(オランダ)
・ミラノでの目標は「金メダル2つ」で、2人の子どもにそれぞれメダルをかけてあげたいという想い
・オープンハウスグループに所属し、会社員とアスリートを両立
・35歳でもまだまだ成長し続けられると確信し、連覇を目指している
・「スノーボードが楽しくて仕方がない」という純粋な情熱が原動力
小須田潤太さんの真面目で誠実な人柄、そして何より「楽しむ」ことを忘れないアスリートとしての姿勢が、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
事故という大きな困難を乗り越え、今では世界の頂点を目指すまでになった彼のストーリーは、多くの人々に勇気と希望を与えていますよね。
2026年3月のミラノ・コルティナパラリンピックでは、開会式の旗手として日本選手団を率い、そして2つの種目で金メダル獲得に挑みます。
世界選手権王者として、さらにプレッシャーもかかるでしょうが、きっと持ち前の冷静さと情熱で乗り越えてくれるはずです!
私も、登山で頂上に立った時の達成感を知っているので、小須田さんが表彰台の一番高いところに立つ姿を想像すると、今から胸が熱くなります。
2人のお子さんに金メダルをかけてあげる瞬間、きっと最高の笑顔が見られるんでしょうね。
小須田潤太さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


コメント