やり投げ界で今、最も注目されている﨑山雄太(さきやま・ゆうた)選手。
2025年の日本選手権では歴代2位となる87m16を記録し、世界陸上代表にも内定しました。
体育の授業での一投が、人生を変えた⁈
この記事では、﨑山選手の出身地・学歴・高校時代のエピソードを紹介します。
プロフィール

引用元:日本陸上競技連盟公式サイト
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 﨑山 雄太(さきやま ゆうた) |
生年月日 | 1996年4月5日(29歳) |
出身地 | 奈良県 |
出身中学 | ※詳細は公表されていません(奈良県内と推定) |
出身高校 | 関西創価高校(大阪府) |
出身大学 | 日本大学(投てきの名門) |
所属 | 愛媛競技力本部 |
身長 | 178cm(推定) |
競技種目 | やり投げ |
自己ベスト | 87m16(2025年 日本選手権)※日本歴代2位 |
主な代表歴 | 世界選手権(2023ブダペスト・2025東京)、アジア選手権(2025クミ) |
出身地・中学時代
出身地は奈良県
静かな環境で育ち、自然の中で身体を動かすことが好きだったそうです。
中学校の詳細な学校名は公表されていません。
奈良県内の中学校に通っていたと推定されます。

中学時代は走り幅跳びの選手として活躍しており、瞬発力とバネが武器でした。
高校時代
高校は大阪府の関西創価高校に進学。
陸上部に所属し、当初は走り幅跳びを専門にしていました。
中学時代の大会での活躍が高校関係者の目に留まり、推薦入学だった可能性もあります。
関西創価高校は陸上競技に力を入れている学校で、特に投てき種目や跳躍種目において指導実績があります。
中学時代に走り幅跳びで活躍していた﨑山選手にとって、より専門的な指導を受けられる環境を求めた可能性が高いです。
体育の授業がきっかけで、やり投げに本格転向。
高校3年時にはインターハイにも出場するほどの実力に。
2年間でインターハイに出場するほどの腕前に成長⁈
その急成長ぶりは、まさに“才能が環境と出会った瞬間”とも言えます。

転向エピソード
高校1年までは走り幅跳びの選手
奈良県出身の﨑山雄太さんは、関西創価高校に進学後、陸上部で走り幅跳びの選手として活動していました。

中学時代から跳躍系種目に親しみ、特に瞬発力とバネには定評がありました。
高校1年の頃は、記録の伸び悩みやフォームの課題に向き合いながらも、地道に練習を重ねていたそうです。
体育の授業
体育の授業で「ジャベリックスロー(やり投げ型の器具)」を体験する機会が訪れます。
「思いのほか飛んだんです。自分でもびっくりして、先生も『お前、向いてるかもな』って言ってくれて」
この一投が、彼の競技人生を大きく変えるきっかけに。
走り幅跳びで培った助走のスピード感や踏み切りの感覚が、やり投げのフォームにも自然と活かされ、本人も「こっちの方がしっくりくる」と感じたようです。
その後、やり投げに本格転向。
高校3年時にはインターハイに出場するまでに成長し、まさに“偶然の出会いが才能を開花させた”瞬間でした。
幅跳びで培った瞬発力と体のバネは、やり投げでも大きな武器になりました。
大学時代
学年 | 年度 | 主な記録・出来事 | 備考 |
---|---|---|---|
大1 | 2015年 | 74m11(自己ベスト更新) | 入学時は61m → 初記録会で13m更新の衝撃 |
大2 | 2016年 | ケガにより記録なし | 腰と肘の故障で長期離脱 |
大3 | 2017年 | ケガにより記録なし | 肘を使わず“跳躍練習”でバネを強化 |
大4 | 2018年 | 79m13(復帰後の記録会) | 日本選手権優勝ラインに届く大記録 |

大学入学時は同期の中で最下位(61m)だったが、1年目で一気に74m台へ急成長しました。
指導者からは「跳躍選手並みのバネ」と評価され、やり投げに新たなスタイルを築いたようです。
大学時代にはケガで2年間投げられない時期もありましたが、「肘を使わない練習」や「跳躍練習」でバネを磨き続けました。
年次ベスト記録の推移
年 | 記録 |
---|---|
高1(2012年) | 50m82 |
高2(2013年) | 60m71 |
高3(2014年) | 61m06 |
大1(2015年) | 74m11 |
大4(2018年) | 75m61 |
社会人(2025年) | 87m16(自己ベスト) |
出典:日本陸上競技連盟公式プロフィール
崎山雄太(29=愛媛競技力本部)が日本歴代2位の好記録で初優勝し、2大会連続の世界選手権代表に内定した。
5投目で87メートル16を投げ、参加標準記録(85メートル50)を突破。日本陸連の選考基準を満たし、同種目日本勢で内定第1号となった。89年溝口和洋の日本記録(87メートル60)には届かず「あれでも届かないのか」と苦笑い。それでも自己ベストを3メートル41も更新し「結果が伴ってうれしい。久しぶりに叫んだ」と喜んだ。 引用元:日刊スポーツ
これは単なる記録ではなく、過去の悔しさや努力の積み重ねが形になった“証”です。
本人も「久しぶりに叫んだ」と語っており、感情のこもった一投だったことが伝わってきます。
まとめ
良県出身の﨑山雄太選手は、大阪の陸上名門・関西創価高校に進学。
高校1年の体育の授業でやり投げと出会い、それまで取り組んでいた走り幅跳びから転向を決意します。
持ち前のバネとスピードを活かし、わずか2年でインターハイに出場するまでに成長しました。
その後、日本大学に進学するも、度重なる故障に悩まされ、記録のない日々が続きます。
それでも諦めることなく、「肘を使わない投げ方」や「跳躍練習」など独自の工夫を重ね、地道に身体のバネを磨き続けました。
そして迎えた2025年、自己ベストとなる87m16を記録し、日本選手権優勝ラインに迫る大記録を達成。
2大会連続で世界選手権代表に内定し、再び世界の舞台へと挑みます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana
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