陸上界で今、最も注目されている鵜澤飛羽(うざわ とわ)さん。
中学までは野球少年だったという異色の経歴の持ち主。
さらに“オタク”な一面もあるというから驚きです。
そんな鵜澤さんの学歴・陸上での経歴・野球時代のエピソード、そして意外な素顔まで、徹底的にご紹介します。
鵜澤飛羽さんってどんな人?プロフィール紹介
基本情報まとめ
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 鵜澤 飛羽(うざわ とわ) |
生年月日 | 2002年11月25日 |
年齢 | 22歳(2025年現在) |
出身地 | 宮城県 |
身長 | 約182cm |
所属 | 筑波大学 → 日本航空(2025年時点) |
専門種目 | 短距離(主に200m) |
自己ベスト | 200m:20.12(2025年・アジア選手権) |
「飛羽(とわ)」という名前は、漢字からもわかるように「空を羽ばたくように自由に、遠くへ飛んでいけるように」という願いが込められている可能性が高いです。
公的なインタビューなどで明言されてはいませんが、スポーツ選手らしいスピード感や未来への希望を感じさせる名前ですね。
家族構成
妹さん
鵜澤希妃(うざわ きき)さん
陸上選手として活動しており、兄・飛羽さんと同じく俊足の持ち主。
柴田高校を卒業しています。
ご両親
詳細な職業や名前などは公表されていません。
家族全体がスポーツに理解があり、応援している様子が伝わってきます。
飛羽さんがレース前に披露する「アニメポーズ」については、家族からは少し不評らしいです(笑)
野球少年から陸上転向のきっかけ
野球に打ち込んでいた理由
小学3年生の頃、雑誌で見たイチロー選手に憧れ「あんなふうに活躍したい」と夢を抱き、野球にのめり込んでいったそうです。
イチロー選手に憧れて野球を始めた小学3年生の飛羽くん。
そのきっかけが雑誌の一枚の写真だったというのも、なんだか少年らしくて微笑ましいですよね。
中学時代は野球部に所属し、ポジションはセンター、打順は1番。
俊足を活かした守備が得意で、「守備が売り」の中堅手として活躍していました。
甲子園出場を本気で目指していました。
将来は甲子園に出たいという強い思いがあり、日々の練習にも熱心に取り組んでいたとのこと。
甲子園を本気で目指していたという話からは、ただの部活動ではなく「夢」として野球に向き合っていたことが伝わってきます。
日々の練習に真剣に取り組む姿勢は、今の陸上での活躍にもつながっているのかもしれませんね。

野球を断念したことが転機に
中学まで甲子園を目指して野球に打ち込んでいました。
練習中に肘を負傷。

投擲種目もできず、長距離は苦手、跳躍は設備がない…という状況の中で、消去法で「短距離走」を選んだのが陸上との出会いでした。
スポーツに打ち込む少年の姿って、どこか懐かしくて、胸が熱くなります。
そしてその夢が途中で途絶えてしまったからこそ、今の飛羽さんの“強さ”には、深い物語があるのだと思います。
スカウトではなく、自らの選択
特定のスカウトがあったわけではなく、野球ができなくなった状況下で「やるなら本気で」と自ら陸上に打ち込む道を選んだそうです。
その決断には、ただの“切り替え”ではない、強い意志と覚悟が感じられます。
高校入学後、わずか1年半でインターハイ100m・200mの2冠を達成しています。

この記録は、才能だけではなく「悔しさをバネにした努力」の結晶なのだと思います。
野球という夢を諦めざるを得なかった過去があるからこそ、陸上での一歩一歩に込めた思いは、誰よりも濃かったのではないでしょうか。
“夢の形は変わっても、情熱は変わらない”…そんな言葉がぴったりです。
練習量が圧倒的だった
部活とは別に、1日100本以上のダッシュを自主的にこなしていたとのこと。
田舎の高校で練習環境が整っていない中でも、誰よりも走り込み、補強トレーニングも徹底していたそうです。まさに“環境に左右されない覚悟”。
「できることを、できる場所で、誰よりもやる」——そんな信念が伝わってきます。
華やかな記録の裏には、誰にも見られていない時間の積み重ねがある。
努力の本質を静かに教えてくれるような気がします。
学歴・中学~大学
学歴
学校 | 校名 | 主な活動・特徴 |
---|---|---|
中学校 | 栗原市立築館中学校 | 野球部に所属。センター・1番打者として活躍。俊足と守備力が光る選手でした。 |
高校 | 宮城県築館高等学校 | 野球から陸上へ転向。自主練で1日100本以上のダッシュを継続。高校2年でインターハイ100m・200mの2冠達成。 |
大学 | 筑波大学 | 陸上競技部に所属。関東インカレで200m優勝。ケガによる苦難を乗り越え、涙の復活を果たす。 |
築館高校は、陸上の強豪校というわけではありませんが、飛羽さんはその環境の中で自ら工夫し、努力を重ねて結果を出しました。
高校3年時は新型コロナの影響で大会が中止となり、陸上を続けるか迷った時期も。
その後、競技継続を決意し、大学でも本気で陸上に打ち込む。

「地方の普通校から世界へ」というストーリーは、多くの人に勇気を与えてくれますね。
大学での挑戦とケガ
筑波大学では、全国トップレベルの選手が集まる中で競技を継続。
関東インカレでハムストリングスの肉離れを負い、再び走れない日々が続きました。
復帰戦となった関東インカレ男子200mでは、20秒77で優勝。
フィニッシュ後には涙を見せ、「安心しかないです」と語っています。
全国トップレベルの選手が集まる筑波大学で、プレッシャーの中でも競技を続けていた飛羽さん。
そんな中での肉離れという大きなケガは、身体だけでなく、心にも深い痛みを残したはずです。
「また走れなくなるかもしれない」そんな不安と向き合いながら、それでも前を向いてトレーニングを続けた日々は、想像するだけで胸が熱くなります。
陸上での快進撃
時期・大会名 | 出来事・成果 | 背景・エピソード | 心情・コメント |
---|---|---|---|
筑波大学入学後 | 全国トップレベルの環境で競技を継続 | 高いレベルの中で自分らしい走りを模索 | 挑戦と向上心 |
関東インカレ(前回) | ハムストリングスの肉離れ | 走れない日々が続き、リハビリに専念 | 不安と葛藤 |
関東インカレ(復帰戦) | 男子200mで20秒77を記録し優勝 | ケガからの復帰戦。努力が実を結ぶ | 涙を流し「安心しかないです」と語る |
“オタク”?鵜澤さんの素顔
項目 | 内容 |
---|---|
自宅の様子 | 漫画約4,000冊、フィギュア300体以上!部屋中がアニメグッズで埋め尽くされている |
試合でのパフォーマンス | アジア選手権で「かめはめ波」ポーズを披露。『ドラゴンボール』の孫悟空を意識した演出 |
推しアニメ | 『ゾンビランドサガ』『七つの大罪』。特に『ゾンビランドサガ』はライブにも参加するほどの熱愛ぶり |
推しキャラ | 『ゾンビランドサガ』の二階堂サキ。伝説のヤンキーでリーダー気質のキャラに共感 |
オタク公言のきっかけ | 元BiSHのモモコグミカンパニーさんの言葉に感銘を受け、「隠す必要はない」と感じた |
漫画4,000冊&フィギュア300体という圧倒的なコレクション量に驚きました。

「速さ」と「オタク愛」という一見真逆な要素が、彼の中では自然に共存していて、それがとても魅力的です。
特に印象的だったのは、アジア選手権での「かめはめ波」ポーズ。
競技の場で堂々とアニメ愛を表現する姿は、ただのパフォーマンスではなく、“自分を隠さない勇気”の象徴だと思います。
推しキャラが『ゾンビランドサガ』の二階堂サキというのも納得。
リーダー気質で芯の強いキャラに惹かれるあたり、飛羽さん自身の内面と重なる部分があるのかもしれませんね。
「隠す必要はない」と語る姿勢は、オタクであることに悩んだ経験がある人にとって、きっと救いになるはず。
速さだけじゃない、人間味と共感力を持ったアスリートとして、ますます応援したくなります。
まとめ
かつては甲子園を夢見て白球を追いかけていた野球少年。
しかし、ケガをきっかけにその夢は方向を変え、彼は自ら「本気で陸上をやる」と決意します。
高校は陸上の強豪校ではなかったものの、限られた環境の中で工夫を重ね、努力を惜しまず結果を出してきました。
その姿は、誰かに用意された道ではなく、自分で切り拓いた“走る道”そのもの。
大学時代にもケガに悩まされながら、それでも前を向き、再びトラックに立った彼。
その強さは、記録だけでは語りきれない“心のスピード”を感じさせます。
そして、陸上を離れると…実は筋金入りのアニメ好き。
部屋には漫画がぎっしり、フィギュアもずらり。試合後に「かめはめ波」を披露するほどの“全力オタク”。
このギャップに、思わず萌えてしまう人も多いはず。
世界陸上では、どんな記録を見せてくれるのか。
速さと情熱、そしてオタク魂を胸に、彼の走りから目が離せません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana
コメント