梅野倖子の経歴・学歴・家族・幼少期を徹底調査!【世界陸上競歩】

梅野倖子の経歴・学歴・家族・幼少期を徹底調査!【世界陸上競歩】 スポーツ
サンプル

世界陸上35㎞競歩の日本代表として注目される梅野倖子(うめのゆきこ)さん。
幼少期から現在までの歩みをまとめました。
一緒に見ていきましょう!

経歴

項目内容
生年月日2003年1月8日(22歳)
出身地福岡県宗像市
所属LOCOK(JOCアスナビ制度で採用)
種目競歩(20km/35km)
自己ベスト20km:1時間31分02秒(2025年)
35km:2時間46分53秒(2025年)
主な代表歴世界陸上(2023ブダペスト、2025東京)
アジア大会(2023杭州)
アジア選手権(2025クミ)
幼少期運動が苦手で、習い事はピアノとそろばんのみ。小学4年からバスケを始める。
家族父方がバスケ一家。祖父は福岡県バスケットボール協会副会長。

幼少期と家族

幼少期は運動が苦手

梅野倖子さんは、幼い頃は運動がとても苦手だったそうです。

運動会では転んでしまったり、シャトルランは十数回で終わってしまったり…。

本人も「全然だめだった」と振り返るほど、スポーツとは縁遠い子ども時代を過ごしていました。

習い事はピアノとそろばんだけ。

体育の授業が憂うつだった日もあったかもしれませんよね。

バスケ一家

父方はバスケ一家
祖父は福岡県バスケットボール協会副会長を務めています。

小学4年生のときに図書室でバスケットボールの本を手に取り、父に「バスケをやってみたい」と相談したのが転機になりました。

ドリブルする女性イラスト


バスケ一家に育った彼女にとって、それは小さな勇気の一歩だったのでしょう。

得意じゃないことに挑戦するって、すごく勇気がいることですよね。

梅野さんはその一歩を踏み出して、少しずつ自分の可能性を広げていった。

その姿がとても優しくて、力強くて、心に響きました。

学歴と競歩との出会い

学歴

学年区分学校名(推定)備考
小学校宗像市内の小学校小学4年生からバスケを開始。図書室でバスケの本を借りて父に相談したのがきっかけです。
中学校宗像市内の中学校中学までバスケを継続。体が小さく試合にはあまり出られなかったが、努力を重ねていました。
高校福岡県立宗像高等学校高校1年で競歩に転向。
インターハイ予選から急成長
大学順天堂大学日本代表として国際大会に多数出場。
ライフスキルトレーニングも受講。

※小学校・中学校名は明記されていませんが、宗像市内の学校である可能性が高いです。

競歩との出会い

高校では「もうバスケはいいかな」と思い、陸上部に入部。

自己紹介で「中学までバスケをしていました」と話したところ、顧問の先生が「じゃあ競歩をやってみて」と言ってきたのです。

しかも翌日には、「インターハイ予選にエントリーしたから出てね」と(笑)。

ほぼ即決・即行動で、競歩人生が始まりました。

なぜ先生が競歩を勧めたのかというと、以前にもバスケ経験者が競歩で成功した例があったからだそうです。

その先輩は高校から競歩を始めて、インターハイで8位入賞という好成績を残していました。

先生はその経験をもとに、「バスケ経験者は競歩に向いているかもしれない」と感じたようです。

結果的に、梅野さんの適性を見抜いたその判断は大正解でした。

人生って、ほんの一言で変わることがあるんだな…と感じました。

本人にとっては何気ない自己紹介でも、聞く人によっては未来を切り開くヒントになるのですね。

先生の直感と行動力が、梅野さんの才能を引き出したのだと思うと、なんだか心が温かくなります。

競歩との出会いは偶然のようで、実は必然だったのかもしれませんね。

高校時代の挫折と成長

競歩に本格的に取り組み始めた後、高校3年生の全国大会で起きた出来事です。

梅野さんは高校2年の終わり頃から全国ランキング1位を維持していました。

誰もが優勝を期待していた大会で、ラスト100mの勝負に挑みました。

一度はライバルを引き離し、「絶対に勝てる」と確信したその瞬間、焦りから歩形が乱れ、なんとゴール直後に失格が判明。

しかも、ライバルも同じく失格だったのです。

このときの梅野さんの心情は、想像するだけで胸が痛みます。

応援してくれた仲間や先生、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいだったと語っています。

冷静さを失った自分が悔しかった」と振り返る彼女の言葉には、競技に対する真摯な姿勢と、責任感の強さがにじんでいます

競歩選手イラスト

世界陸上への挑戦

35km競歩挑戦

2025年3月16日。
石川県能美市で開催された「第109回日本選手権35km競歩」
梅野さんは初めての35km競歩に挑戦しました。

この大会は、東京2025世界陸上の代表選考会も兼ねており、まさに世界への扉を開く大一番でした。

結果と記録

  • 記録:2時間46分52秒(速報値)
  • 順位:優勝(日本選手権制覇)
  • 世界陸上参加標準記録(2時間48分00秒)を突破!
    ※派遣設定記録(2時間45分00秒)には届かなかったものの、代表入りに十分な記録でした。

レース展開

梅野さんは2023年にも国際大会に出場しており、経験値は十分です。

序盤はライバル選手が先行する展開でしたが、梅野さんは冷静にペースを刻み、15km地点で先頭に立ちます。

その後は単独で先頭を歩き続け、30km地点では2時間23分で通過。

最後まで安定した歩きで、地力の高さを見せつけました。

陸上トラックイメージイラスト

まとめ

高校時代の失格という挫折を乗り越え、大学で競技力を磨き、ついに世界陸上の舞台へ。

初挑戦の35kmという未知の距離でも、冷静さと粘り強さを失わずに歩き切った姿は、本当に感動的です。

2025年9月13日から21日にかけて開催される世界陸上競技選手権大会(東京)。

梅野倖子さんが、あの大舞台でどんな歩きを見せてくれるのか…
今から胸が高鳴ります。

運動が苦手だった幼少期、悔しさを味わった高校時代、そして努力を重ねてつかんだ代表の座。

そのすべてが、彼女の一歩一歩に込められています。

静かに、でも力強く。
世界の舞台で輝く梅野さんの姿を、心から応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました yuzuhana


コメント

タイトルとURLをコピーしました