高橋弘篤さんは、スケルトン競技で41歳にして3度目のオリンピック出場を果たした日本のトップアスリートです。
2026年ミラノ・コルティナ五輪を最後に現役引退を表明しており、SNSでは「出身高校や大学はどこ?」「ご家族はどんな方?」といった声が多く見られます。
この記事では、高橋弘篤さんの学歴(出身高校・大学)や学生時代のエピソード、ご家族のこと、そしてオリンピック選手としての道のりについて詳しく調べてまとめました。
スケルトン競技を知らない方も楽しめる内容になっていますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
高橋弘篤選手がミラノ五輪スケルトン代表に!どんな選手?
2026年2月に開幕したミラノ・コルティナ冬季五輪で、スケルトン男子の日本代表として出場を果たした高橋弘篤(たかはし ひろあつ)さん。

引用元:日本オリンピック委員会
41歳にして3度目のオリンピック出場という快挙を成し遂げました。
スケルトンは、ソリにうつ伏せに乗って頭を前にして氷上を滑り降りる競技です。
最高速度は時速140キロにも達する、スリル満点の種目なんですよ!
高橋さんは2014年のソチオリンピックで12位、2018年の平昌オリンピックで22位という成績を残しています。
北京オリンピックでは出場を逃しましたが、今回のミラノ五輪では繰り上がりで出場枠を獲得しました。
これまでの実績と努力が認められた結果ですね。
今季限りでの現役引退を表明している高橋さんにとって、このミラノ五輪は集大成のレース。
「8位入賞を目指したい」と高い目標を掲げ、毎日「気持ちは晴れ晴れ」と語る姿が印象的です。
私も介護の現場で、高齢になっても挑戦し続ける方々をたくさん見てきました。
年齢を重ねても諦めず、前を向き続ける姿勢には本当に頭が下がります。
高橋さんの姿は、年齢なんて関係ないということを教えてくれますよね。
高橋弘篤選手の出身高校はどこ?
高橋弘篤さんの出身高校は、地元宮城県の宮城県立富谷高等学校です。
富谷高校は宮城県黒川郡富谷市(当時は富谷町)にある公立の高等学校で、地域に根ざした教育を行っている学校です。
高橋さんは地元で生まれ育ち、小学校・中学校・高校と富谷で学生時代を過ごしました。
高校時代は何をしていた?
高校時代の高橋さんは、スケルトンとはまだ無縁の生活を送っていました。
部活動に関する詳しい情報は公開されていませんが、運動に親しみながら学生生活を楽しんでいたようです。
また、この頃から「足の速い体育の先生になりたい」という夢を持っていたそうです。
体育教師を目指して体育大学への進学を考えていたんですね。この夢が、後に大学でスケルトンと出会うきっかけになります。
富谷高校の同窓会報では、高橋さんが卒業後もオリンピック出場の際に母校を訪れ、後輩たちに講演を行ったというエピソードも紹介されています。
地元や母校への感謝の気持ちを忘れない、素敵な人柄が伝わってきますね。
スケルトンを始めたのはいつ頃?
高校時代はまだスケルトンを始めていません。高橋さんがスケルトンと出会うのは、大学入学後のことです。
高校卒業後、体育教師を目指して仙台大学に進学した高橋さん。
そこで部活動紹介を通じてスケルトン競技と運命的な出会いを果たすことになります。
この詳細については次の章で詳しく見ていきましょう!
高橋弘篤選手の出身大学はどこ?
高橋弘篤さんの出身大学は、仙台大学体育学部です。2007年3月に卒業しています。
仙台大学は宮城県柴田郡柴田町にある私立の体育系総合大学で、多くのトップアスリートを輩出していることで知られています。
スポーツ科学や体育教育に力を入れており、充実した施設とトレーニング環境が整っているんですよ。
そして何より、仙台大学は日本で唯一スケルトン部が存在する大学なんです!
大学でスケルトンを本格的に?
高橋さんがスケルトンと出会ったのは、仙台大学の部活動紹介でした。
そのきっかけが、なんともユニークなんです。
「足が速くて、ちょっとマッチョだったら格好いいなぁ」という理由で、ボブスレー部に入部したそうです(笑)。
当初は体育教師になるために、足を速くするトレーニングができる部活を探していた高橋さん。
ボブスレー部には走りを速くするトレーニングがあることに魅力を感じたんだとか。
ところが、体育大学のボブスレー部では高橋さんは「足が遅い方」だったそうです。
しかし、ここで高橋さんの素晴らしい資質が発揮されます。それは「できる人に聞く」という姿勢です。
走りを速くしたいと思ったときは走りの速い先輩や同期に教えを請い、コースのライン読みを上手にしたいときは滑る技術がすごい選手に学ぶ。
この貪欲に学び続ける姿勢が、高橋さんを日本トップのスケルトン選手へと成長させました。
ボブスレー部に入部した後、高橋さんはスケルトン競技に転向します。
そして大学時代から本格的にスケルトンの道を歩み始めました。
大学時代の成績や実績
大学時代の具体的な競技成績については詳細な情報が見つかりませんでしたが、高橋さんは在学中からスケルトン選手としての基礎を築いていきました。
2007年3月に仙台大学を卒業後、同年6月には越和宏選手、田山真輔選手とともにシステックススケルトンクラブを設立しています。
大学の先輩である越和宏選手の影響も大きかったようです。
仙台大学でスケルトンと出会ったことが、高橋さんの人生を大きく変えたんですね。
もし別の大学に進学していたら、日本を代表するスケルトン選手としての活躍はなかったかもしれません。
学生時代からオリンピック選手への道のり
高橋弘篤さんがオリンピック選手になるまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
大学卒業後の2007年、高橋さんは株式会社システックスに所属し、「システックススケルトンクラブ」で本格的に活動を開始しました。
2017年まで同社に所属し、競技に打ち込む環境を整えます。
国内では着実に実績を積み上げていきます。
2010年12月、全日本スケルトン選手権大会で初優勝を果たし、その後2012年大会まで3連覇を達成!さらに2015年と2017年にも優勝し、通算5回の優勝を誇ります。
全日本プッシュスケルトン選手権(ソリを押して走るタイムのみを計測する大会)でも圧倒的な強さを見せ、2012年から2017年まで6連覇という快挙を成し遂げました。
国際舞台でも結果を残し始めます。
2013年12月、アメリカ・パークシティで行われたワールドカップ第2戦で、初の一桁順位となる9位を記録。
2014年1月にはドイツのウィンターベルク大会で自己最高記録となる8位を獲得しました。
そして2014年、ソチオリンピックに初出場を果たします。競技初日の前半1・2回戦では15位でしたが、2日目の後半3・4回戦で3つ順位を上げて12位でフィニッシュ。
初のオリンピックで堂々の成績を残しました。
2018年には平昌オリンピックに2度目の出場。22位という結果でした。
その後、北京オリンピックでは出場を逃すという悔しい思いも経験します。
しかし高橋さんは諦めませんでした。
所属先の先輩だった越和宏選手が出場したバンクーバー五輪を見て、「本気で世界を志す」と決意していた高橋さん。
情熱を持ち続け、トレーニングを積み重ねました。
そして2026年、41歳にして繰り上がりでミラノ・コルティナ五輪の出場枠を獲得。
3度目のオリンピック出場という夢を叶えました。
私も日々の仕事の中で、継続することの大切さを実感しています。
登山で一歩ずつ頂上を目指すように、地道な努力の積み重ねが大きな成果につながるんですよね。
高橋さんの姿勢は、私たちにも勇気を与えてくれます。
高橋弘篤選手の家族構成を調査!
トップアスリートの活躍を支えるのは、やはり家族の存在ですよね。
高橋弘篤さんのご家族についても気になるところです。
両親(父・母)はどんな人?
高橋弘篤さんのご両親に関する詳しい情報は、プライバシー保護の観点から公開されていません。
ただし、2014年のソチオリンピック出場時には、富谷市や母校の富谷高校から応援メッセージが書かれた日の丸がお父様を通じて高橋さんに手渡されたというエピソードがあります。
このことからも、ご家族が高橋さんの活動を温かく見守り、応援している様子が伝わってきますね。
平昌オリンピックの際にも、富谷市をあげて応援する雰囲気があり、地元とご家族の支えがあってこその活躍だと言えるでしょう。
高橋さん自身も「育ててくれた地元、富谷市に何か少しでも恩返ししたい」と語っており、家族や地域への感謝の気持ちを常に持ち続けていることが分かります。
地元への講演活動なども積極的に行っているそうです。
兄弟姉妹はいる?
高橋弘篤さんに兄弟姉妹がいるかどうかについても、公開されている情報は見つかりませんでした。
ご家族のプライバシーを大切にされているようですね。
アスリートとして競技に集中するために、私生活については公にしない選択をされているのかもしれません。
家族の支えやスケルトンを始めたきっかけ
高橋弘篤さんを支える大きな存在が、奥様と2人の息子さんです。
実は高橋さん、結婚されてご家族がいらっしゃるんです!
2026年のミラノ・コルティナ五輪では、ゴール後に着用するシューズカバーに12歳と9歳の息子さん2人からの応援メッセージが書かれたテープを貼っていました。
「がんばれ」「ゴーゴーゴー」といった応援の言葉が、高橋さんの力になっているんですね。
41歳という年齢でオリンピックに挑戦する姿は、息子さんたちにとっても誇らしいお父さんの姿でしょう。
家族への感謝を胸に、最後のオリンピックに臨む高橋さん。
ご家族の支えがあるからこそ、ベテランになっても記録を伸ばし続けることができているんだと思います。
そして、高橋さんがスケルトンを始めたきっかけについて改めて振り返ると、仙台大学での部活動紹介が転機でした。
「足が速くて、ちょっとマッチョだったら格好いいなぁ」という親しみやすい動機でボブスレー部に入部し、その後スケルトンへ転向。
当初は体育教師になるために足を速くしたいと考えていましたが、スケルトンの魅力に取りつかれていったんですね。
また、所属先の先輩だった越和宏選手の存在も大きかったようです。
越選手が出場したバンクーバー五輪を見て、「本気で世界を志す」ようになったと語っています。
良い先輩との出会いが、高橋さんのキャリアを大きく変えたんですね。
高橋弘篤の簡単プロフィール
ここで高橋弘篤さんのプロフィールを簡単にまとめておきましょう。

引用元:日本オリンピック委員会
年齢や生年月日は?
名前:髙橋 弘篤(たかはし ひろあつ)
生年月日:1984年4月13日
年齢:41歳(2026年2月時点)
出身地:宮城県黒川郡富谷町(現・富谷市)
身長:175cm
体重:83〜86kg
出身校:富谷市立あけの平小学校→富谷市立富谷第二中学校→宮城県立富谷高等学校→仙台大学体育学部
所属:株式会社エフアシスト
競技:スケルトン
高橋さんは1984年生まれで、現在41歳です。
スケルトン選手としては高齢の部類に入りますが、「過去最高の自分」と語るほど、今も成長を続けています。
ベテランになっても記録を伸ばし続ける姿勢は、本当に素晴らしいですね。
スケルトン選手としての主な実績
高橋弘篤さんの主な実績をご紹介します。
【オリンピック】
・2014年 ソチオリンピック 12位
・2018年 平昌オリンピック 22位
・2026年 ミラノ・コルティナオリンピック 出場(3度目)
【全日本スケルトン選手権】
・優勝:2010年、2011年、2012年(3連覇)、2015年、2017年(通算5回)
・準優勝:2013年
・3位:2007年
※2017年大会ではトラックレコードを記録
【全日本プッシュスケルトン選手権】
・優勝:2009年、2010年、2012年〜2017年(6連覇)
【ワールドカップ】
・自己最高記録:8位(2014年1月 ドイツ・ウィンターベルク大会)
・9位(2013年12月 アメリカ・パークシティ大会)
国内では圧倒的な強さを誇り、国際大会でも日本人トップの成績を残し続けてきました。
今季限りでの引退を表明していますが、最後のミラノ五輪では8位入賞という高い目標を掲げています。
世間の反応やSNSの声
高橋弘篤さんのミラノ五輪出場や現役引退の発表に対して、SNSやメディアではさまざまな反応が見られます。
「41歳でオリンピック出場ってすごい!」
「最後まで諦めない姿勢に感動した」
「息子さんたちからの応援メッセージに泣けた」
といった声が多く見られます。
また、地元・富谷市や母校の仙台大学、富谷高校からも温かい応援が寄せられています。
仙台大学からは応援旗が贈呈され、「教職員やOBの想いを込めた」と報道されました。
富谷高校の同窓会でも「富谷高校の誇り」として高橋さんを応援しており、地元全体で盛り上がっている様子が伝わってきますね。
繰り上がりでの出場枠獲得については、「これまでの実績が認められた結果」「諦めずに続けてきたからこそのチャンス」と評価する声が多く見られます。
私も登山で頂上を目指すとき、最後の最後まで諦めずに一歩ずつ進むことの大切さを実感します。
高橋さんの姿は、年齢に関係なく挑戦し続けることの素晴らしさを教えてくれますね。
まとめ:高橋弘篤を育てた学歴と家族の支え
高橋弘篤さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
【学歴・学生時代】
・出身高校は宮城県立富谷高等学校
・高校時代は「足の速い体育の先生」を目指していた
・出身大学は仙台大学体育学部(2007年卒業)
・大学の部活動紹介でボブスレー部に入部し、後にスケルトンへ転向
・「できる人に聞く」という姿勢で貪欲に学び続けた
【家族構成】
・両親や兄弟姉妹に関する詳細は非公開
・結婚しており、12歳と9歳の息子さんが2人いる
・ご家族の支えがあって競技を続けられている
・地元・富谷市への恩返しを大切にしている
【競技実績】
・全日本選手権5回優勝(3連覇含む)
・オリンピック3度出場(ソチ12位、平昌22位、ミラノ出場)
・41歳でのミラノ五輪出場は繰り上がりながらも実績が認められた結果
・今季限りでの現役引退を表明
高橋弘篤さんの真面目で誠実な人柄や、アスリートとしての情熱、そして家族への感謝の気持ちが、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
41歳にして「過去最高の自分」と語り、最後のオリンピックで8位入賞を目指す姿は、本当にかっこいいですよね!
仙台大学でスケルトンと出会い、先輩や仲間に恵まれ、家族に支えられながら日本を代表する選手にまで成長した高橋さん。
学歴と家族の支え、そして何より本人の努力と情熱が、今の活躍を作り上げているんだと思います。
ミラノ・コルティナ五輪での活躍が本当に楽しみです。
そして引退後も、スケルトン競技の普及活動や後進の育成など、さまざまな形で日本のスポーツ界に貢献されることでしょう。
高橋弘篤さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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