坂下恵里さんは、ミラノ・コルティナ2026パラリンピックで日本女子として初めてパラスノーボード代表に選ばれたアスリートです。
2026年3月7日の予選では見事7位となり、日本女子初の決勝トーナメント進出という快挙を達成しました。
この記事では、坂下恵里さんのプロフィールや障がいを負った経緯、スノーボードを始めたきっかけ、そして今回のパラ五輪での活躍ぶりまで詳しくまとめました。
気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
坂下絵里選手が日本女子初の決勝進出!パラ五輪で快挙達成
ミラノ・コルティナ2026パラリンピックの第2日となる2026年3月7日、スノーボード女子で坂下恵里さん(33歳)が日本女子として初めて出場し、予選を見事突破して決勝トーナメントに進出しました。
予選の1回目では5位という好位置につけ、2回目で順位は下げたものの全体7位で決勝進出のラインを超えました。
レース後、坂下さんは「感慨深い。まず(決勝の)スタートラインに立てた」と笑顔で語りました。
日本女子として初めてこの舞台に立った坂下さんの滑りは、多くの人々に勇気と希望を与えたんですよね。
その後の決勝トーナメントでも最終的に8位入賞を果たし、日本女子パラスノーボード界の新たな歴史を刻みました。
坂下絵里選手のプロフィール
年齢や生年月日は?
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 坂下恵里(さかした・えり) |
| 生年月日 | 1992年5月4日 |
| 年齢 | 33歳(2026年3月現在) |
| 所属 | 三菱オートリース株式会社 |
| クラス | LL2(下腿義足) |
坂下さんは1992年生まれの33歳です。
2026年のミラノ・コルティナパラリンピックに出場した時点で33歳という年齢ですが、競技を本格的に始めたのは2020年、28歳の時でした。
つまり、わずか5年余りでパラリンピック代表の座を掴んだことになります。
私も介護の現場で日々働いていますが、30代から新しいことに挑戦して世界の舞台に立つなんて、本当にすごいことだと思います。
年齢を理由に諦めず、夢に向かって全力で進む姿勢には頭が下がりますよね。
出身地や身長などの基本情報
坂下恵里さんは静岡県牧之原市出身です。
実家は茶農家で、雪のない温暖な土地で育ちました。
現在は競技に専念するため、練習環境の整った長野県長野市に拠点を移して生活しています。
牧之原市の勝間田区という地域で生まれ育ち、榛原中学校から池新田高校に進学。
高校時代はソフトボール部で投手として活躍していました。
その後、東京都内の専門学校に進学し、映像制作会社に就職してテレビカメラマンを目指していたそうです。
雪のない静岡から、パラリンピックのスノーボード選手へ。
この経歴だけでも、坂下さんの人生がいかに波乱に満ちていたかが分かりますよね。
どんな障がいを持っているの?
坂下恵里さんは、2015年12月にバイク事故で左足の膝から下を切断し、現在は下腿義足で生活しています。
事故当時は23歳。東京の映像制作会社で駆け出しのカメラマンとして働いている最中の出来事でした。
愛車の中型バイクに乗っていた坂下さんは、一時停止違反の自動車と激突する事故に遭遇。
その結果、左膝から下を失うという人生を大きく変える経験をしました。
半年間の入院後、義足で職場復帰を試みたものの、テレビ業界の体力的な厳しさについていけなくなり、夢だったカメラマンの仕事を諦めざるを得なかったそうです。
介護の仕事をしている私自身、障がいを負った方々の日常生活の大変さを目の当たりにしています。
それでも前を向いて新しい目標を見つけた坂下さんの強さには、本当に心を打たれますね。
スノーボードを始めたきっかけは?
障がいを負った経緯
坂下さんが障がいを負ったのは、2015年12月のバイク事故が原因でした。
当時23歳で、東京の映像制作会社でテレビカメラマンとして夢を追いかけていた最中の出来事です。
事故後、約半年間の入院生活を経て職場に復帰しましたが、テレビ業界の過酷な現場についていけず、自ら見切りをつけて退社する決断をしました。
その後は事務職やコールセンターの顧客対応など、職を転々とする日々が続いたそうです。
坂下さん自身、このときの経験を「すごく後悔していて、夢に出てくるほどでした」と振り返っています。
カメラマンという夢を諦めた悔しさが、後にパラスノーボードに全力で取り組む原動力になったんですね。
人生には思いもよらない出来事が起こりますが、それをどう受け止めて次につなげるか。
坂下さんの歩みは、そんな大切なことを教えてくれる気がします。
パラスノーボードとの出会い
実は坂下さん、障がいを負う前からスノーボードには親しんでいました。
山梨にいとこが住んでいたこともあり、子どもの頃から年に何度かスキーをしていたそうです。
スノーボードを始めたのは大人になってから。
「かっこいいな」と思ったのがきっかけで、年に1〜2回ほど楽しんでいました。
事故から約1年後の2016年冬、坂下さんは再び板に乗ってみることにしました。
「スノーボードってスキーと比べると足首をそんなに使わないイメージがあった。滑れないことはないな」と感じたそうです。
その後、義足ランナーが集まる陸上クラブに参加したことが転機となりました。
そこで出会った先輩パラアスリートの市川貴仁さんの滑りを見て「かっこいい」と心を躍らせ、「私も」と駆り立てられたと言います。
年1〜2回だったゲレンデ通いが、市川さんとともに月1〜2回に増えていきました。
登山が趣味の私には、山で滑る楽しさが分かります。
一度味わったスノーボードの魅力を、障がいを負った後も諦めなかった坂下さんの姿勢は素晴らしいですよね。
そして、2020年、28歳のときに日本障害者スキー連盟のパラスノーボード次世代育成指定選手に選ばれ、本格的な競技人生がスタートしました。
デビューから現在までの経歴を時系列で
競技開始から初めての大会出場
坂下恵里さんがパラスノーボードを本格的に始めたのは、2020年に次世代育成指定選手に選ばれてからです。
当初の動機は「日本の女子の第一人者になりたい」という、比較的軽い気持ちだったそうです。
しかし、2021年から本格的に競技者としてのキャリアをスタートさせ、海外の大会に出場するようになってから、坂下さんの気持ちは大きく変化していきます。
初めて国際大会で女性のトップアスリートの滑りを目の当たりにしたとき、「今の私では到底かなわない」と衝撃を受けました。
一方で、「この人たちと肩を並べて争えるようになりたい」という強い思いが芽生えたのもこの時期です。
女子は選手数が少ないため、障がいの程度が重いLL1クラスと、下腿切断の坂下さんが戦うLL2クラスが一緒に競技します。
LL1が不利な状況にもかかわらず、上位を争うのはいつもLL1の選手たち。
その現実を目の当たりにして、「今のままでは戦えない」と覚悟を決めました。
国内外の主な戦績や実績
坂下恵里さんの主な戦績は以下の通りです。
2023年
・ヨーロッパカップ(バンクドスラローム)初出場:優勝
・北米カップ スノーボードクロス:1位、2位
この2023年のヨーロッパカップでの優勝が、坂下さんにワールドカップ出場権を与え、さらなる飛躍のきっかけとなりました。
国際大会デビュー戦での優勝は、まさに快挙ですよね!
2024年
・ワールドカップ及びヨーロッパカップに継続出場
・ヨーロッパカップ年間表彰で2位を獲得
2025年
・世界ランキング:スノーボードクロス9位、バンクドスラローム7位
・ミラノ・コルティナパラリンピック代表に内定
2026年
・ミラノ・コルティナパラリンピック出場
・スノーボードクロス:予選7位で決勝進出、決勝8位
・バンクドスラローム:出場予定
わずか5年余りでパラリンピック代表になり、世界ランキング一桁台に入るなんて、驚異的な成長スピードですよね。
コツコツと積み重ねた努力が、確実に結果につながっているんだと感じます。
パラ五輪出場までの道のり
パラリンピック出場という目標を本気で目指すと決めた坂下さんは、2023年から2024年にかけて大きな決断をしました。
それは、アスリートとして雇用してくれる会社への転職と、東京から長野への移住です。
約1年間悩んだ末にたどり着いたのが、「後悔はしたくない」という思いでした。
かつてカメラマンの夢を諦めた後悔が夢に出てくるほど深かったという坂下さん。
「先々よりも今を大事に生きよう」と覚悟を決め、競技に専念できる三菱オートリース株式会社に入社し、練習環境のいい長野に引っ越しました。
「もう後戻りはできません」と語る坂下さんの言葉には、強い決意が感じられますよね。
私も介護の仕事で、日々小さな決断の連続ですが、坂下さんのような大きな決断をする勇気には本当に頭が下がります。
また、日本代表チームでは5人のトップ選手が引っ張る男子中心の環境で、女性選手は坂下さんただ一人という状況が続きました。
「女子選手と切磋琢磨したい」「女子の目標となる選手がいてくれたら」と思うこともあったそうですが、同じ時期に育成指定選手から強化指定選手になった後田風吹さんや、海外遠征中に話を聞いてくれた友人たちの支えがあって、ここまで来ることができたと言います。
今回のパラ五輪での活躍ぶりは?
予選からの戦いぶり
2026年3月7日、ミラノ・コルティナパラリンピックのスノーボードクロス女子SB-LL2クラスに、坂下恵里さんが日本女子として初めて出場しました。
予選は2回制で行われ、1回目では5位という好位置につけました。
この時点で、日本女子初のパラリンピック出場という大舞台にもかかわらず、落ち着いた滑りを見せたことが分かりますよね。
2回目では順位を下げたものの、2本の合計タイムで全体7位となり、8位までに与えられる決勝トーナメント進出権を見事獲得しました。
坂下さんは予選通過後のインタビューで「感慨深い。まず(決勝の)スタートラインに立てた」と笑顔で語りました。
その表情には、長年の努力が報われた喜びと、決勝への意気込みが感じられたんですよね。
決勝進出の瞬間と結果
予選7位で決勝トーナメントに進んだ坂下恵里さん。
3月8日の決勝トーナメントでは1/8決勝から登場し、激しいレースを繰り広げました。
最終的な結果は8位入賞。
日本女子として初めてパラリンピックのスノーボードに出場し、初めて決勝トーナメントに進出し、そして入賞を果たすという、三つの「初」を成し遂げました。
【3月8日(日) 女子スノーボードクロス 決勝トーナメント】
日中に競技実施(現地) → 日本では 3月8日夜に放送
NHKの番組表では、
3月8日 20:00〜22:00(録画放送)に女子スノーボードクロス決勝が放送予定
→ この枠に 坂下恵里選手が出場予定 と明記されています。
また、3月14日にはバンクドスラローム種目にも出場予定で、地元牧之原市ではパブリックビューイングが開催されるなど、地域全体で坂下さんを応援する動きが広がっています。
私も登山をする中で、一歩一歩頂上に近づく喜びを知っています。
坂下さんが一つ一つのハードルを越えていく姿は、まさに険しい山を登っていくような挑戦だったんだろうなと思いますね。
坂下絵里選手の強さの秘密や魅力はどこにある?
坂下恵里さんの強さの秘密は、何と言っても「後悔したくない」という強い思いにあると言えるでしょう。
一度は夢だったカメラマンの仕事を諦めた経験が、「先々よりも今を大事に生きよう」という人生観につながりました。
そして、パラスノーボードでパラリンピックを目指すと決めた後は、仕事も住む場所も変えて、全力で競技に打ち込む環境を自ら作り上げました。
また、坂下さん自身が語るように「センスがないので、人より努力して、人より本数を滑らないと追いつけない」という自己認識も重要です。
才能に頼らず、ひたすら練習を重ねる姿勢が、わずか5年での急成長を支えたんですね。
さらに、スノーボードそのものへの純粋な愛情も魅力の一つです。
「板一枚の上に乗っているだけなのに、跳んだり跳ねたり回ったり……いろんなことができることが魅力」と語る坂下さん。
アメリカのトップ選手の滑りを見て「スノーボードが大好きだというのがにじみ出ている」と感動する感性も素敵ですよね。
坂下さんの魅力ポイント ・後悔しない生き方を貫く強い意志 ・努力を惜しまない姿勢 ・スノーボードへの純粋な愛情 ・パイオニアとしての責任感
加えて、日本女子初のパラスノーボード選手として、「女子の競技人口を増やしたい」「だれかに希望を与えることができたら」という思いを持ち続けていることも、坂下さんの大きな魅力です。
自分だけでなく、後に続く人たちのことを考える視点は、パイオニアならではの責任感ですよね。
介護の現場で働く私も、利用者さん一人ひとりに寄り添いながら、小さな積み重ねを大切にしています。坂下さんの「一歩一歩」という姿勢には、共感するところが多いです。
世間の反応やSNSの声
坂下恵里さんのパラリンピック出場と決勝進出には、多くの応援の声が寄せられています。
出身地の静岡県牧之原市では、市を挙げての応援体制が整えられました。
市長をはじめとする関係者が「雪のない町からの快挙」として坂下さんの活躍を讃え、パブリックビューイングの開催など、地域全体で盛り上がりを見せています。
SNSでも、「日本女子初の快挙おめでとう!」「後輩たちのためにも頑張って」「勇気をもらった」といった温かいメッセージが多数投稿されています。
特に、障がいを負ってからわずか10年余り、競技開始から5年でパラリンピック代表になったという経歴に、多くの人が感動と驚きを表明しています。
また、所属する三菱オートリース株式会社でも、坂下さんの活躍を全面的にバックアップ。
社員との交流会なども開催され、会社全体で応援する雰囲気が作られているそうです。
日本障害者スキー連盟のスノーボードチームからも、「日本女性初の世界選手権出場、そして入賞を果たした」として、坂下さんの功績が高く評価されています。
地元、会社、競技団体、そしてSNSを通じた一般の人々まで、多くの人が坂下さんを応援していることが分かりますよね。
その期待に応えるように結果を出し続ける坂下さんの姿は、本当にかっこいいと思います。
まとめ: 坂下絵里選手の今後に期待!
坂下恵里さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
【要点まとめ】
・1992年生まれの33歳、静岡県牧之原市出身
・2015年のバイク事故で左膝下を切断、義足で生活
・2020年に競技を本格的に始め、わずか5年でパラリンピック代表に
・2026年ミラノ・コルティナパラリンピックで日本女子初のパラスノーボード出場
・スノーボードクロスで予選7位から決勝進出、8位入賞という快挙達成
・「後悔しない」という強い思いと、努力を惜しまない姿勢が強さの秘密
・現在は三菱オートリース所属で長野県在住、競技に専念中
坂下恵里さんの諦めない心と、一歩ずつ前に進む姿勢が、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
日本女子パラスノーボード界のパイオニアとして、これからも多くの人に勇気と希望を与えてくれるでしょう。
坂下さんの歩みは、まさにその姿そのもの。時には涙を流しながらも、決して立ち止まらずに前に進み続ける彼女の姿には、心から敬意を感じますね。
まずは、3月8日(日) 女子スノーボードクロス 決勝トーナメントの活躍を期待しています!
2026年3月14日のバンクドスラローム種目での活躍も楽しみですし、これからも世界の舞台で日本女子の存在感を示し続けてほしいと思います。
坂下恵里さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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