成本豊穂くんを育てた父・成元豊の情熱!世界一のピザ職人の原点

成本豊穂くんを育てた父・成元豊の情熱!世界一のピザ職人の原点 トレンド
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2025年初夏、イタリア・ナポリで開催されたピザ職人世界選手権ジュニア部門で、広島県呉市の小学6年生・成本豊穂(なりもと あつひで)君が世界一に輝きました。

その快挙の陰には、父・成元豊(なりもと ゆたか)さんの存在があります。

元海上自衛官だった彼は、なぜピザ職人という道を選んだのでしょうか。

そして、息子をどう導き、世界の頂点へと押し上げたのでしょうか。

今回は、そんな成元親子の挑戦と、ピッツァを通じて育まれた家族の絆をたどってみたいと思います。

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息子・成元豊穂くんのプロフィールと快挙

成元豊穂(なりもと あつひで)くんは、広島県呉市在住の小学6年生で、2025年にイタリア・ナポリで開催されたピザ職人世界選手権ジュニア部門で優勝した“世界一の小学生ピザ職人”です。

名前:成元 豊穂(なりもと あつひで)
年齢:12歳 小学6年生(2025年現在)
出身地:広島県呉市
ピザ職人/カリフォルニアミルク協会公式アンバサダー

2025年、イタリア・ナポリで開催された「ナポリピッツァ職人世界選手権」のジュニア部門で、日本人初の世界チャンピオンに輝きました。

ピッツァ作りを初めてわずか1年でというから驚きです!

評価されたのは、力強さと繊細さを兼ね備えた生地作り、高温で一気に焼き上げる火入れ技術、味のバランス、そして人柄や姿勢。現地メディアからも「大人以上の実力」と絶賛されました。

ピッツァ職人としての歩み

豊穂くんがピッツァ作りを始めたのは、小学4年生の頃。

父・成元豊さんが営むナポリピザ専門店「PIZZERIA NALIPO」で、毎朝5時から修業を重ねました

小学生で毎朝5時に起きて修業を続けるなんて、本当にすごい決心ですよね。

私が小学生だった頃は、朝起きること自体が戦いで、眠気と格闘する毎日だったのに……。

そんな自分を思い出すと、ちょっと恥ずかしくなってしまいます。

成元 豊穂君画像

引用元:カリフォルニアミルクInstagram

メディア出演と今後の夢

2025年11月にはテレビ朝日系『博士ちゃん』に出演し、「家庭でも簡単に作れる本格ピッツァ」や「和食×イタリアンの融合レシピ」を披露。

その姿は、サンドウィッチマンや芦田愛菜さんも「本格的すぎる!」と驚くほどでした。

将来の夢は「ピッツァを日本の主食にすること」。

そのために、豊穂くんは今もピザを焼き続けています。

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父・成元豊さん

成元豊さんプロフィール

元海上自衛官。
現在は広島県呉市でナポリピッツァ専門店「PIZZERIA NALIPO(ナリポ)」を営むピッツァ職人。

その人生は、まさに“情熱の転職”という言葉がふさわしいものでした。

広島県呉市在住のピッツァ職人
元海上自衛官(通信部所属)
ピザ職人への転身を決意高松市のピッツァ店で修業後、本場ナポリでも技術を習得
2010年、呉市東中央に「PIZZERIA NALIPO(ナリポ)」を開業

高校卒業後、ハンドボール選手としての夢を追いながら海上自衛隊に入隊。

通信部に所属し、規律ある生活を送りながらも、心のどこかで「本当にやりたいことは何か」と問い続けていたそうです。

そんなある日、妻とのデートで訪れたピッツァ店で食べたナポリピザに衝撃を受けます。

「これだ。自分も、こんな感動を届けたい」
その想いが胸に灯った翌日には、店に「働かせてください」と頭を下げていたというから、その行動力と直感の強さに驚かされます。

本当にやりたいことって、まるで神さまがふっと降りてきたように、「これだ」と直感でわかるものなのかもしれませんね。

その瞬間を信じて、一歩踏み出すには少し勇気がいるけれど…それでも進んでいく姿に、心を打たれました。

なんだか、感動してしまいます。

その後は高松市のピッツァ店で修業を積み、ナポリにも渡って本場の技術を学びました

2010年、地元・呉市に「PIZZERIA NALIPO」をオープン。

薪窯で焼き上げる本格ナポリピッツァは、地元でも評判を呼び、行列ができる人気店に。

ピザ職人としての信念と、親としての背中

成元さんのピッツァ作りには、ある信念があります。

それは「感動を届けるピザを焼くこと」。

味だけでなく、食べる人の心に残るような一枚を目指して、日々薪窯に向き合っています。

2025年、ナポリピッツァ職人世界選手権STG部門で世界4位を獲得
西日本豪雨の際には避難所で減塩ピザを提供
地域貢献にも尽力「感動を届けるピザを焼くこと」が信条
息子・豊穂くんの365日ピザ修行を支え、世界一への道を共に歩む

「感動を届けるピザを焼くことが信条」って、もうそこに感動じゃないですか!

そしてその背中を見て育ったのが、息子・豊穂くん。

「父のように人を笑顔にしたい」と、小学4年生からピザ作りを始め、365日休まず焼き続けた努力が、世界一という結果につながりました。

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修業と開業、そして家族

修業と開業

ピッツァ職人としての道を歩み始めた成元豊さんは、高松市のピッツァ店で修業を積み、その後ナポリへ渡り、本場の技術を体で覚えました。

自衛隊で通信部に所属していた成元豊さんは、この部署で培った緻密さ、冷静な判断力、そして責任感を、ピザ職人としての技術にも活かしているのかもしれません。

薪窯の温度管理、発酵のタイミング、焼き加減…どれも“感覚”だけではなく、理論と経験に裏打ちされた職人技です。

2010年、広島県呉市に「PIZZERIA NALIPO(ナリポ)」を開業。

店名は「成元ピザ」の略称であり、家族の名前を込めたものでもあります。

ピザナポリかと思ったらピザナリポでした

薪窯で焼き上げる本格ナポリピッツァは、地元で評判を呼び、行列ができる人気店に成長しました。

家族

そしてこの店は、単なる職場ではなく、家族の挑戦の場にもなりました。

息子・豊穂くんがピッツァ作りに興味を持ち始めたのは、小学4年生の春休み。

きっかけは「2分の1成人式」での「ピッツァ職人になりたい」という宣言。

父は「じゃあ、1年ピッツァをやってみる?」と軽く声をかけました。

すると、豊穂くんは「明日からやる」と即答。

その判断の速さと行動力は父譲りに間違いありませんね。

そこから、365日ピッツァ修行の始まりです。

「自分よりも努力している」と話しており、誇りと感動がにじんでいました。

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世界大会と、父のもうひとつの挑戦

2025年、イタリア・ナポリで開催された「ナポリピッツァ職人世界選手権」。

小学6年生の成元豊穂くんは、STG部門(伝統的ナポリピッツァ)で見事世界一に輝きました。

その隣には、父・成元豊さんの姿がありました。彼も同じ部門で出場し、世界4位という快挙を成し遂げます。

でも、父の挑戦にはもうひとつの意味がありました。

「息子が世界一を目指すなら、親も本気で挑まなきゃいけない」

それが、父・成元豊さんのもうひとつの挑戦でした。

豊穂くんが365日ピッツァ修行を続ける中、父もまた、自分の技術を磨き直し、世界大会に向けて準備を重ねていました。

親子で同じ舞台に立つことは、誇らしさだけでなく、互いの努力を認め合う場でもあったようです。

大会では、豊穂くんが焼いたピザに審査員たちが驚き、父のピザにも「伝統と革新が融合している」と高い評価が寄せられました。

結果は、息子が世界一、父が世界4位。

でも、順位以上に大切だったのは、親子で同じ夢を追い、同じ舞台に立ったことでした。

その一瞬は、きっと「夢がつながった」奇跡のような時間だったんだろうなと思います。

「自分より努力している息子の姿に、何度も胸が熱くなった」

父の言葉には、誇りと感動がにじんでいました。

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夢を追う背中が、子どもを育てる

ピザ画像

引用元:博士ちゃん公式X

子どもは、親の言葉よりも、親の生き方を見て育つのかもしれません。

成元豊さんがピッツァ職人としての夢を追い続ける姿は、息子・豊穂くんにとって、何よりの教科書だったに違いありません。

毎朝薪窯に向かい、火と生地と向き合う父の背中には、努力の積み重ねと、夢への誠実さがにじんでいました。

「ピッツァ職人になりたい」と豊穂くんが口にしたとき、父は「じゃあ、1年ピッツァをやってみる?」と声をかけました。

その言葉には、夢を追う者同士のまっすぐな信頼が込められていたように思います。

そして始まった365日の修行。

毎朝5時に起きて、父と並んで薪窯に向かう日々は、単なる技術習得ではなく、親子で夢を育てる時間でした。

夢を語るだけでなく、夢に向かって歩く姿を見せること。

それは、言葉以上に子どもの心に残るものかもしれません。

忙しさに追われ、夢や子どもとじっくり向き合うことが難しい今の時代。

ふと、自分の子育てはこれでよかったのかな……と振り返ってしまうこともあります。

でもきっと、親が挑戦する姿は、どんなに時間が経っても、どんなに離れていても、
子どもの心に届くものなのだと思います。


それが、希望の種になることもあるのだと、成元さん親子の姿が教えてくれました。

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まとめ

ピッツァ作りを始めてわずか1年で、世界大会ジュニア部門の頂点に立った息子・豊穂くん。

父・豊さんは、海上自衛官からピッツァ職人へと転身した異色の経歴の持ち主です。

「感動を届けるピザを焼くこと」を信条に歩んできたその背中は、息子にも確かに届いていました。

夢を追う父の姿を見て、豊穂くんは365日の挑戦を自ら始めたのです。

努力と絆が重なり合い、親子で世界の舞台に立ったその姿は、まさに夢がつながる奇跡のようでした。

夢は、語るものではなく、歩いて見せるもの。

その背中が、きっと誰かの未来を照らしていくのだと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana

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