17歳の女子高生・久保凛さんが、世界陸上2025の代表に選ばれました。
中学から本格的に陸上を始めた彼女ですが、それ以前は何をしていたのでしょうか。
その快挙の背景には、和歌山で育った幼少期、祖母との深い絆、そして“走ること”との出会いがありました。
プロフィール

引用元:日本陸上競技連盟公式
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 久保 凛(くぼ りん) |
生年月日 | 2008年1月20日(17歳) |
出身地 | 和歌山県東牟婁郡串本町 |
身長 | 167cm |
所属 | 東大阪大学敬愛高等学校 |
種目 | 中距離走(主に女子800m) |
自己ベスト | 800m:1分59秒52(日本記録) 1500m:4分11秒07(高校歴代2位) |
陸上開始時期 | 中学入学後に本格的に陸上へ転向 |
幼少期の競技 | サッカー(串本JFC所属、U-12トレセン選出) |
家族構成 | 父・母・兄・弟(現在は母・兄・弟と大阪府吹田市在住) |
祖母 | 久保浩子さん(元短距離選手・ジュニア駅伝監督) |
有名な親族 | いとこにサッカー日本代表・久保建英選手 |
主な実績 | 全中800m優勝、日本選手権優勝、世界陸上2025代表選出 |
サッカー日本代表・久保建英選手をいとこに持ち、祖母は元短距離選手という華麗なるスポーツ一家。
そんな環境で育った久保凛さんが、早くから注目を集めたのは、ある意味“必然”だったのかもしれません。
和歌山で育った幼少期
串本町ってどんなところ?

出典:串本町ホームページ
本州最南端の町で、紀伊半島の先端に位置し、太平洋に突き出した潮岬(しおのみさき)が有名です。
海と空がすぐそばにあるこの場所で育った久保凛さんは、きっと自然のリズムの中で“走ること”を覚えていったのだと思います。
宇宙の町としても注目されています。
近年は「スペースポート紀伊」の建設で、ロケット打ち上げの拠点としても話題になっています。
広い空を見上げながら、地面を蹴って前に進む。
そんな日々が、彼女の原点になっているのかもしれません。
サッカー少女(小1〜小6)
小学校に入学した久保凛さんは、父が監督を務める地元のサッカークラブ「串本JFC」に所属していまた。

出典:「串本JFC」のfacebook
サイドハーフとして活躍。俊敏な動きと走力を武器に、U-12トレセンにも選ばれるほどの実力を持っていました。
もうこの頃から“ただ者じゃない”雰囲気が漂っていたのかもしれません。
サッカーに夢中になりながら、祖母の陸上クラブにも通っていました。
すごく多才でエネルギッシュな子だったんですね。
祖母と陸上との出会い
祖母・久保浩子さんは元短距離選手
現在は「潮岬陸上クラブ」の指導者・ジュニア駅伝監督として活躍中です。
凛さんにとって、祖母は“身近な指導者”であり、スポーツの楽しさを教えてくれる存在でした。
サッカーの練習がない日は、祖母のクラブに参加
最初は“なんとなく”通っていたようですが、祖母のすすめで駅伝に出場したことが転機に。
小学校高学年になると駅伝大会で区間賞を獲得するなど、走ることへの才能が開花しています。
「走るのって楽しい」と感じるようになり、陸上への興味が芽生えたそうです。
祖母との関係
中学以降は陸上一本に絞り、祖母のクラブと学校の部活を両立。
週6日以上の練習をこなしながら、祖母と二人三脚で記録を伸ばしていきました。
サッカーに夢中だった少女は、祖母との穏やかな時間の中で“走ること”に出会い、やがて世界を目指すようになりました。
それは、無理に選んだ道ではなく、家族の温もりにそっと導かれた、自然な歩みだったのかもしれません。
「陸上しなよ」と背中を押してくれた家族の言葉。祖母のクラブで過ごした日々が、彼女の“走る理由”を静かに育てていたのです。
こうして振り返ると、特別なきっかけがあったわけじゃなくて、身近な人との時間の中で少しずつ道が見えてきたんですね。
なんだか、自分にもそんな“気づきの瞬間”があったような気がして、ちょっと胸があたたかくなります。
中学時代と高校
中学時代
久保凛さんの出身中学校は、
和歌山県東牟婁郡串本町立潮岬(しおのみさき)中学校です。
中学時代の久保凛さんは、学校の部活と祖母のクラブを両立し、週6日以上の練習をこなしていました。
その努力が実を結び、中学3年で全国中学陸上800mを制し、日本一に。
走ることは、いつしか彼女の日常そのものになっていったのです。
努力が特別ではなく、日常になっていた。その積み重ねが、全国制覇という結果を生んだのですね。
高校
中学で全国優勝を果たした久保凛さんは、より高い競技環境を求めて
大阪の強豪校・東大阪大学敬愛高校へ進学しました。

引用元:ウィキペリア
母や兄弟とともに大阪府吹田市に移り住み、家族の支えを受けながら競技に打ち込む日々を送っています。
ちなみに、父と祖母は地元串本町に残りそれぞれのクラブチームの活動を続けています。
中学生で全国優勝って…もうその時点ですごすぎますよね。
しかも、環境を変えて大阪で本格的に陸上に打ち込むなんて、17歳とは思えない覚悟。
スポーツに打ち込む子どもを支えるって、想像以上に大きな覚悟がいることなんだと思います。
寮生活の大変さや、競技に集中できる環境のことをちゃんとわかっているからこそ、久保凛さんのご家族は引っ越しという選択をして、そばで支える道を選んだんですね。
そのあたたかさが、彼女の強さの根っこになっている気がします。
まとめ
小学生の頃、久保凛さんは父が監督を務める地元のサッカークラブ「串本JFC」に所属し、U-12トレセンにも選ばれるほどの実力を持っていました。
サッカーに打ち込む一方で、練習のない日は祖母・浩子さんが運営する陸上クラブにも通い、走る楽しさに触れていきます。
小学校高学年で駅伝大会に出場し、区間賞を獲得したことが転機となり、中学からは陸上一本に。
全国中学陸上800mで優勝を果たすと、より高い競技環境を求めて大阪の強豪校・東大阪大学敬愛高校へ進学。
母や兄弟とともに大阪府吹田市へ移り住み、家族の支えを受けながら競技に打ち込む日々を送っています。
17歳の挑戦が、どんな風に世界を駆け抜けるのか。
その一歩一歩に、心からのエールを送りたくなります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana
コメント