世界陸上に初出場を果たした瀬古優斗選手。
その爽やかな笑顔と、しなやかな跳躍が印象的な彼ですが、ふと気になりました。
出身中学や高校はどこだったのでしょう?
棒高跳を始めたきっかけは?
そして、左右で違うスパイクを履いている理由とは――?
気になるポイントをひとつずつ調べてみました!
瀬古優斗さんプロフィール

引用元:日本陸上競技連盟公式サイト
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 瀬古 優斗(せこ ゆうと) |
生年月日 | 1998年3月16日(2025年時点で27歳) |
出身地 | 滋賀県大津市 |
身長・体重 | 180cm・65〜66kg |
出身校 | 瀬田北中学校 → 草津東高校 → 中京大学 |
所属 | FAAS(社会人クラブ) |
種目 | 陸上競技・走高跳 |
跳躍の瞬間は鋭い集中力に満ちているのに、ふと見せる眼鏡姿の穏やかな表情には、どこか親しみやすさが漂います。
競技者としての強さと、人としてのやさしさが同居するような、そんな印象を受けました。
出身校
瀬田北中学校
瀬古優斗さんは滋賀県大津市の瀬田北中学校出身です。
もともとはバレーボール部に所属していました。
ジャンプ力に自信があり、スパイクやブロックで活躍していたそうです。
ジャンプ力に自信があって、バレーでも活躍してたなんてすごい!
手足がすらっと伸びていて想像できます!

跳躍力をもっと活かせる競技があると感じ、陸上部へ転部初めて走り幅跳びに挑戦しました。
でも“もっと活かせる場所がある”って気づいて、自分から転部するって、なかなかできることじゃないですよね。
中学生でその決断力、尊敬します。
中学3年時には1m70をクリアしています。
草津東高校
優斗さんは滋賀県立草津東高校に通っていました。
当時は全国的に知られた選手ではなく、インターハイ出場経験もなし。
周囲からの注目も少なく、静かに競技に打ち込む日々を送っていました。
そんな中、高校3年生で初めて国体に出場。
古賀優斗選手にとって初の全国大会でした。
「自分はまだまだだ」という悔しさと、「もっと跳びたい」という希望が同時に芽生えたそうです。
「無名だった高校時代こそが、自分を奮い立たせてくれた」と語っています。
高校3年で初めて全国大会って、遅咲きにも見えるけど、そこから一気に伸びるって本当にすごい。
注目されてなくても、自分を信じて努力し続けた姿に胸が熱くなります。
中京大学
優斗さんは中京大学に進学し、陸上競技部に所属。
大学2年時には2m20台を安定して跳べるようになり、学生ランキングでも上位に食い込むように。
チーム内で仲間のまとめ役でした。
技術だけでなく、精神面でも周囲を支える存在だったそうです。
ただ跳ぶだけじゃなくて、仲間を支える立場だったんですね。
技術も人間力も磨かれていった4年間だったんだろうなって思うと、記録の裏にある努力がより尊く感じます。
大学4年時には欧州遠征に参加し、世界のトップ選手たちと同じ舞台に立ち
自分の跳びはまだまだ通用すると確信したようです。
スパイクの謎
瀬古優斗選手が左右異なるスパイクを履いていた理由は、試技の途中でスパイクが破損してしまったためなんです!
2025年8月の大会で、瀬古選手は2m33という日本歴代2位タイの跳躍を成功させましたが、その挑戦の最中にスパイクのトラブルが発生。
急きょ、左右で異なるスパイクを履いて試技に臨むという異例の状況となりました。
それでも彼は見事に跳び切り、世界陸上の参加標準記録を突破する快挙を達成しました。
「俺、これ跳んだん?」と本人も驚いたほどの記録は、まさに“逆境を跳ね返した”瞬間でしたね。
引用元:日テレスポーツ
これは単なるファッションではなく、助走と踏み切りの役割に合わせて最適なスパイクを選んでいるという、非常に戦略的な理由があります。
右足(踏み切り足)には、グリップ力と安定性を重視したモデル
左足(助走のリズムを整える足)には、軽さとスピードを重視したモデル
左右の役割に応じて異なる性能のスパイクを履き分けることで、跳躍の精度と高さを最大限に引き出しているのです。
それにしても
試合中にスパイクが壊れてしまうというアクシデントに見舞われたら、
「もう今日は無理かも…」って思ってしまいそうな場面。
しかもその状態で、日本歴代2位タイの2m33をクリアするなんて!
メガネ姿で飛ぶ瀬古選手から目が離せません!
まとめ
瀬古優斗選手は、滋賀県の瀬田北中学校でバレーボール部に所属していました。
「この跳躍力をもっと活かせる競技があるのでは」と感じ、陸上部へと転向します。
高校は草津東高校へ進学。
全国的には無名の存在でしたが、地道な努力を重ね、高校3年生で初めて国体に出場。
中京大学に進学後は、2m20台を安定して跳べるように。
学生ランキングでも上位に名を連ねるようになり、チーム内では仲間をまとめる存在に。
技術だけでなく、人間的な信頼も集める選手へと成長していきました。
そして現在、瀬古選手は左右で異なるスパイクを履いて競技に臨んでいます。
これは単なる個性ではなく、踏み切り足と助走足、それぞれの役割に合わせて最適な性能を選び分けているという、彼ならではの工夫。
跳躍の精度を高めるための“戦略”が、記録の裏にしっかりと息づいています。
まもなく始まる予選。
古賀選手から目が離せません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。yuzuhana
コメント