5月2日放送の「酒のつまみになる話」に黒夢やSADSで活動されている清春さんが出演します。
56歳の清春さんは幼少期の頃、父が苦手だったようです。
いったいどんな過去があったのでしょうか。
どんな家庭環境で生活していたのか気になりますよね。
デビュー前の学生時代をまとめました。
一緒に見ていきましょう。
清春さんのプロフィール
本名:森清春(もりきよはる)
生年月日:1968年10月30日
血液型:A型
身長:171㎝
出身地:岐阜県
兄弟:3人兄弟の長男

引用元:https://www.yamahamusic.co.jp/
見た目よりも屈託のない笑顔で話をするのが印象的な方です。
インタビューの記事など読んでいると、深いところまで考えていて尊敬します。
言葉にもセンスがあるんだろうな…と感じました。
現在の家族構成
1998年に結婚されています
嫁は知子さん・1968年生まれで、同い年です。
嫁の知子さんは六本木高級クラブの人気ホステスでした。
ホステスと結婚できるなんて!
当時から素敵だったのでしょうね。
長女:憂希 (ゆうき)さん・1998年生まれ
次女:紫音 (しおん)さん・2001年生まれ
父の影響でしょうか、2人とも音楽に関わり、音大を出て、バンドを組んだりしてたと噂があります。
一般人のため情報はあまりありませんでした。
清春さんは子煩悩で有名です。
子供の授業参観や、スイミングスクールの送迎など、積極的に参加されていました。
最近は27歳の長女と一緒にディズニーランドに行ったと話しています。
27歳になっても一緒に行きたくなるパパ。
普段からの関わりが上手くいっているからですね。
ずっと変わらない絆で羨ましい関係です。
愛犬も一緒にくらしていました。
チワックスの「ひるね」ちゃんです
清春さんのまったりした顔がいいですね。
貴重映像です!
幼少期
生れは岐阜市でしたが、高校生の頃に多治見市へ引っ越しています。
叔父さんが陶芸家だった影響で、小さい頃は絵を習っていました。
アーティストセンスは血筋ですね。
独創的な発想力は生まれ持ったものでした。
父は建築板金工場の経営者でした。
ほとんど笑うことはなかったようです。
建築関係の仕事をされている方に多いタイプです。
どこにもいる昭和の頑固一徹オヤジのイメージですね。
そのためか父が怖かったようで、相談事は母親ばかりにしていたそうです。
母はよき理解者でやさしい人です。
そんな親子関係ですが、高校を卒業すると父の友人の会社に勤めていました。
進路の話ができる関係で少し安心しました。
その後1年で退職しています。
父は病気(がん)になり余命半年と言われたのが清春さん39歳の時です。
自分の人生を振り返り子供との距離感など思いが沢山あったのかもしれません。
残された半年間、お父さんは最期まで清春さんの子供(孫)をとても可愛がっていました。
学生時代
出身小学校:多治見小泉小学校?
出身中学校:多治見小泉中学校?
出身高校:多治見工業高等学校・デザイン科卒業
多治見市立小泉小学校・中学校との噂があります。
しかし、中学まで岐阜市に住んでいたため、多治見市の学校を出た可能性は低いです。
幼少期から絵を習っていただけあります。
絵のコンクールで入賞したことがあるほどの腕前でした。
小学校時代はリトルリーグに入団して野球少年でした。
岐阜県出身だけに中日ドラゴンズの熱狂的なファンという噂もあります。
小学校時代から音楽が好だったようです。
当時は西城秀樹さんや沢田研二さんに憧れていました。
思ったより庶民的?少し身近に感じます。
なんだかイメージがちがいました。
高校生の頃、先輩の下宿先に遊びに行った時の事です。
当時人気だった日本のインディーズバンドのポスターやレコードがたくさんありました。
清春さんはそのビジュアルにも衝撃を受けたそうです。
今と違いネット情報がない時代です。
先輩から受ける影響は大きいものでした。
友人からの「バンドをやりたいからボーカルやってよ」という誘いが音楽との出会いです。
輝いている秘訣
1991年にロックバンド・ 黒夢 を結成し、1994年、黒夢としてメジャーデビューしました。
独創性溢れるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気があったのですが、
わずか4年間で突然の無期限活動休止を発表しました。
1999年、SADSを結成
2000年TBS系ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌「忘却の空」が大ヒット
2018年、SADSは活動停止をしています。
理由は相方が家族との時間を大切にしたいというものでした。
2003年、清春としてソロデビュー。
2010年、ソロ活動と並行しながら、黒夢・SADSの活動を再開しています。
2020年10月には自叙伝『清春』を発刊しました。

引用元:https://www.shinko-music.co.jp/
自身が輝いている秘訣を下記のように話していました。
成功してもしなくても、挑戦した方が人生が輝くと思う。僕も今まで、この仕事を長年やってきたけど、どこがゴールか分からないので。僕の場合は、それが成功なのかもしれない。それをやってきた自分がここにいて、自分の人生無駄じゃなかったなと思えるから。成功してもしなくても、何かを目指した時間が大事だと、思う。本気でね。日本の人たちは、僕の子供もそうだけど、やりたいことも無いとかって人、結構多いから、今。だから、はっきり、自分にやりたいという意志をもって、夢に向かってる人はね、日本人でも、外国人でも美しいと思います。
引用元:https://nybiz.nyc/
清春さんは56歳です。
世間では「もう…」と何かをあきらめるような感じかもしれませんね。
しかし、ファッションスタイルも独創的で年齢を感じさせません。
愛用のブランドもあるようですが、古着っぽいパンクファッションが多くの人を魅了しています。
黒夢の写真展が開催されますね。
私服の写真も多くあることでしょう。
音楽だけでなく、生活スタイルそのものが清春さんの魅力で輝き続けている秘訣なのかもしれませんね。
まとめ
・器用春さんは頑固一徹のお父さんが怖かったようですが、仲が悪かったわけではありませんでした。
・自身が40歳の頃父が病気で亡くなりました。
・母はやさしく、よき理解者でした。
・清春さんは子煩悩で娘ととても仲かよいことが分かりました。
・挑戦することで輝くことを発信しており、ファッションも年齢を感じさせない魅力がありました。
見た目より人懐っこい印象の清春さん。
デビューから今まで平坦だったとは言えませんでしたが、いつまでも若々しく挑戦し続ける姿は圧巻的でした。
益々の活躍が楽しみです。
最後まで読んでいただきありがとうございました
hana
コメント