病気を抱えながらも、100mハードルで日本記録保持者として走り続ける福部真子さん。
その強さの裏には、学生時代から積み重ねた努力と、苦しみを乗り越えた経験がありました。
福部選手の学歴・経歴・病気にまつわるエピソードを調査しました。
プロフィール
項目 | 内容 |
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生年月日 | 1995年10月28日(29歳) |
出身地 | 広島県安芸郡府中町 |
身長・体重 | 165cm・57kg |
所属 | 日本建設工業 |
出身校 | 府中中 → 広島皆実高 → 日本体育大学 |
競技種目 | 陸上競技・女子100mハードル |
自己ベスト | 12秒69(2024年7月・日本記録) |
主な代表歴 | 2022年世界陸上(オレゴン)、2024年パリ五輪 |
趣味 | ゲーム・UFOキャッチャー |
好きな食べ物 | お好み焼き・寿司・エイヒレ・ティラミス |
座右の銘 | 「顔が晴れるように顔(がん)晴(ば)る」 |
学歴と陸上との出会い
小・中・高での陸上歴
小学校時代(府中町立府中小学校)
福部真子さんは、幼い頃から運動神経が抜群で、4歳の頃にはすでに水泳を始めていました。
小さな頃から水に親しんでいたなんて、きっと活発で元気いっぱいな女の子だったんでしょうね。
小学4年生のとき、走る楽しさに目覚めて陸上競技へと転向します。
「走るって楽しい!」そんな純粋な気持ちが、才能を引き出す原動力になったのかもしれませんね。

地元の「空城ジュニア陸上クラブ」に所属すると、瞬く間に頭角を現し、100m走では県内トップの成績を収めました。
小学5・6年生の頃には全国大会にも出場し、将来を期待される存在に。
「日清食品カップ」では、後に五輪代表となる土井杏南選手と同じレースに出場。
トップ選手の走りに刺激を受けたこの経験が、福部さんにとって本格的に陸上に打ち込むきっかけとなりました。
憧れの選手と同じレースに立てたこと、それだけでも胸が高鳴る経験ですよね。
その感動が、彼女の背中をそっと押してくれたのかも。
中学校時代(府中町立府中中学校)
水泳に区切りをつけ、陸上一本に絞ったのは中学入学の頃。
新しい道を選ぶって、勇気がいること。
でもその決断が、彼女の可能性を大きく広げたんですね。
顧問の先生のすすめでハードルに挑戦すると、すぐにその才能が開花し、中学1年生でジュニアオリンピックを制覇しました。
初めての挑戦で全国制覇…!先生の目も確かだけど、それに応えた福部さんの努力とセンスがすごいです。
さらに中学3年生では、「全日本中学校陸上競技選手権」にて女子四種競技で全国優勝を果たします。
走るだけじゃなく、跳ぶ・投げる・走る.全部できちゃうなんて、まさに“万能型”。中学生でここまでこなせるのは本当に驚きです。

四種競技とは、100mハードル・走高跳・砲丸投・200mの4種目を総合的に競うもので、スプリントだけでなく、跳ぶ・投げる・走るすべてにおいて高い能力が求められる競技です。
れぞれ全然違う動きなのに、全部こなすって…体だけじゃなく、頭もフル回転だったはず。
高校時代(広島県立広島皆実高等学校)

広島皆実高校に進学した福部真子さんは、女子100mハードルで圧倒的な強さを見せ、1年生から3年生までインターハイ3連覇という偉業を達成しました。
高校3年間ずっと頂点に立ち続けるなんて…まさに“女王”の風格。努力と集中力のすごさに、ただただ拍手です。
順風満帆に見えた競技人生の中で、高校2年生の頃から故障に悩まされるようになります。
どんなに強い選手でも、体の不調は避けられないもの。思うように走れないもどかしさ、きっと心にも影を落としたはず…。
思うように走れないもどかしさの中でも、家族や仲間の支えが彼女の背中を押し、再び前を向く力となりました。
その努力はやがて実を結び、世界ジュニア選手権への出場という大舞台へとつながります。
苦しさを乗り越えた先に、世界の舞台が待っていたなんて…まるでドラマのような展開。
でも、それは彼女が自分の力でつかんだ現実。
国際大会でも堂々と戦い、世界にその名を知らしめる存在となったのです
大学(日本体育大学)での競技生活
日本体育大学に進学後も、周囲からは当然のように「大学でも日本一になるだろう」と期待されていました。
現実はそう甘くなく、高校時代のような圧倒的な勝利には届かず、思うような結果が出ない日々が続きます。
過去の栄光が重くのしかかり、走ることそのものが苦しくなっていたと振り返ります。
“インターハイ3連覇”という肩書きは、誇りであると同時に、彼女を縛る“呪縛”にもなっていたのです。
過去の栄光が、未来の足かせになることもある。
それを乗り越えようとする姿こそが、本当の強さなのかもしれませんね。
大学4年の頃には「12秒50を切ってパリ五輪の決勝に進出する」という高い目標を自らに課し、再び前を向き始めます。
「過去に縛られず、未来を信じて走る」
福部真子さんの物語は、私たちに“自分らしく前を向く勇気”をそっと教えてくれます。
経歴・社会人アスリート
所属チーム:日建AC(日本建設工業アスレティッククラブ)
項目 | 内容 |
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チーム名 | 日建AC(日本建設工業アスレティッククラブ) |
発足年 | 2018年 |
所属連盟 | 東日本実業団陸上競技連盟・東京都陸協 |
主な活動 | 実業団大会・国内主要大会への出場 |
サポート体制 | 社内外からの応援体制が整備され、競技と仕事の両立が可能な環境を提供 |
企業としての取り組み
項目 | 内容 |
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テーマ | 「スポーツがもたらす明日への活力」 |
社員・地域への発信 | 社員や地域住民に向けて、スポーツの価値や選手の活動を積極的に発信 |
ブランド向上と社会貢献 | 福部選手の活躍を通じて、企業イメージの向上と社会貢献を両立 |
情報発信 | 社内報や公式サイトで選手紹介や応援メッセージを掲載し、社内外の応援を促進 |
大会での成績(所属後)
年 | 大会名 | 成績 |
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2022 | 全日本実業団対抗陸上競技選手権 | 優勝 |
2022 | 世界陸上(オレゴン) | 準決勝進出 |
2024 | 日本選手権 | 優勝 |
2024 | オールスターナイト陸上 | 優勝・日本新記録(12秒69) |
2024 | パリ五輪 | 準決勝進出 |
病気との闘い・菊池病と向き合う日々
発症の経緯や練習への影響

高校時代、「菊池病」と診断されました。
発熱や倦怠感が続き、思うように練習ができない日々。
走ることが好きなのに、体がついてこない.
そんなもどかしさと向き合いながら、彼女は少しずつ病気と折り合いをつけていきます。
病名を聞いたときの不安は、きっと言葉にできないほどだったと思います。
それでも「走りたい」という気持ちを手放さなかった福部さんの姿に、静かな強さを感じます。
病気を抱えながら出場
部リンパ節に良性の炎症が起きて発熱などが生じる菊池病を発症したと公表。「アスリートとして弱みを見せたくないし、隠したいという思いもあった」と明かす一方で「私も何か発信することによって、誰かの助けになれば」。同じような症状で苦しむ人たちのために、引き続き陸上と向き合う道を選んだ。 引用元:東スポ
「弱みを見せたくない」という葛藤は、トップアスリートならではのプライドと責任感の表れ。
でもその殻を破って病気を公表し、「誰かの助けになれば」と語った姿勢は、まさに“強さの再定義”だと感じます。
競技の枠を超えて、同じ病気に悩む人たちに希望を届ける存在になったのは、本当に尊いことです。
福部真子さんの素顔
座右の銘
「顔が晴れるように顔(がん)晴(ば)る」
「顔晴る」は、“顔を晴れやかにして頑張る”という意味を持たせた造語で、苦しいときこそ笑顔で乗り越えようというメッセージが込められています。
単なる努力ではなく、「自分らしく」「明るく」前に進む姿勢がにじみ出ています。
苦しいときほど、顔を上げて笑ってみる。そんな姿に、人は勇気をもらうんですよね。
福部真子さんがこの言葉を大切にしているのなら、それは彼女の走りにも、きっと表れていると思います。
ゲーム好き?
ゲーム・UFOキャッチャーが好き⁈

これを趣味にしているなら、彼女の“集中力”や“粘り強さ”にも通じる部分があるかもしれませんね。
「景品を取るまでの過程が楽しい」って、まさに陸上競技にも通じる感覚ですよね。
福部さんがUFOキャッチャーを趣味にしているのは、勝負の駆け引きや集中力を楽しむ“もうひとつのフィールド”なのかもしれません。
まとめ
広島県・府中中学校から広島皆実高校、そして日本体育大学へと進学。
中学時代に走る楽しさに目覚め、陸上競技へと本格的に転向。
中学3年生では女子四種競技で全国優勝を果たし、その才能を一気に開花させました。
高校時代、病気の発症により思うように練習ができない日々。
それでも「走りたい」という気持ちを胸に、病と向き合いながら競技を続けました。
苦しさの中でも前を向き続けた彼女の座右の銘は「顔が晴れるように顔(がん)晴(ば)る」
苦しいときこそ笑顔で乗り越えようというメッセージが込められていました。
これから益々飛躍していきそうですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana
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