京大工学部を卒業しトップアスリートという異色の経歴を待つ20㎞競歩選手の山西利和さん。
引っ越しの多かった幼少期や家族との関係、世界王者へと至るまでの歩み。
そして話題の厚底シューズへの挑戦まで。
そんな山西さんの人生と挑戦をまとめました。
プロフィール

項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 山西 利和(やまにし としかず) |
生年月日 | 1996年2月15日 |
年齢 | 29歳(2025年8月現在) |
出身地 | 京都府京田辺市 |
身長/体重 | 約164cm/54kg |
所属 | 愛知製鋼株式会社 |
種目 | 陸上競技(競歩・主に20km競歩) |
主な成績 | ・2019年 世界陸上ドーハ大会 20km競歩 金メダル・2022年 世界陸上オレゴン大会 20km競歩 金メダル・2023年 世界陸上ブダペスト大会 4位 |
オリンピック成績 | 東京2020:男子20km競歩 7位 |
特徴・持ち味 | 柔らかく効率的なフォーム、安定したペース配分 |
趣味・特技 | 数学、読書、分析思考 |
幼少期と家族
家族
父
年齢や職業は公表されていません。
幼少期には京都→東京→静岡→再び京都と、何度も引っ越しを経験。
父親は転勤の多い企業に勤める会社員だったとされています。
このことから、勤務先は全国転勤のある大手企業の可能性が高いと推察されています。
山西選手は父親について「決めつけず、選ばせてくれる存在だった」と語っており、信頼と尊重のある親子関係がうかがえます。
「両親からうるさく言われた記憶はない」と語っており、本人の意思を尊重する教育方針だったようです。
母
正式な職業や名前は公開されていません。
父親の転勤に伴い全国を転々としていたことから、定職には就いていなかった可能性が高いとされています。
大学時代は実家暮らしで、部屋が散らかっていたこともあり、初めての一人暮らしの際には母親がとても心配していたという微笑ましいエピソードもあります。

弟
弟さんの名前や職業、年齢などは非公開ですが、現在は、社会人として働いている可能性が高いです。
兄の影響で、弟さんもスポーツに親しんでいた可能性があると推察されています。
陸上競技や競歩の分野での活動は確認されていません。
幼少期
転勤族として全国を転々
京都府長岡京市で生まれた山西さん。
父親の転勤により幼稚園年中から小学2年生までは東京、その後は静岡へと引っ越しを繰り返します。
この経験が、環境の変化に柔軟に対応する力を育んだのかもしれませんね。
転校って子どもにとっては大きな出来事。
でも、山西さんはそれを乗り越えて、自分のペースで成長していったんですね。
🏊♂️スポーツは“遊び”からスタート

幼少期はスイミングスクールに通ったり、野球をして遊んだり…
特定の競技に打ち込むというよりは、のびのびと身体を動かす日々だったそうです。
泳げなかった幼少期にスイミングスクールへ見学に連れて行ってくれたものの、入会するかどうかは本人に選ばせたというエピソードもあるほどです。
最初から“競歩一筋”ではなかったところが、なんだか親近感。
子どもらしい自由さが微笑ましいです。
🎲マラソン大会との出会いが転機に
小学4年生のとき、静岡の小学校で開催された“すごろく形式”のマラソン大会に参加。
走った距離に応じてサイコロを振れるというゲーム感覚のイベントでした。
これがきっかけで、努力が結果につながる楽しさを実感し、毎朝校庭を走る習慣が身についたそうです。
“楽しい”が原点って素敵。
競技の入り口が遊びだったからこそ、自然に続けられたのかもしれませんね。
学歴・経歴
学歴
学校区分 | 学校名 | 備考 |
---|---|---|
小学校 | 静岡市内の小学校(推定) | 転勤により静岡で過ごした時期あり。マラソン大会がきっかけで陸上に興味を持つ。 |
中学校 | 長岡京市立長岡第三中学校 | 競歩との出会いはここ。競歩に力を入れている中学として知られる。 |
高校 | 京都市立堀川高等学校 | 進学校ながら競歩で全国優勝。世界ユース選手権でも金メダル獲得。 |
大学 | 京都大学 工学部 物理工学科 | 原子力・宇宙工学・プログラミングなどを学ぶ。ユニバーシアードで金メダル。 |
中学時代
中学1年で京都に戻り、長岡京市立長岡第三中学校の陸上部に入部。
最初は3000m走に挑戦するも、地区予選で敗退。
その後、競歩に転向。
持ち前の粘り強さが競歩にぴったりだったようで、好成績を収めるようになります。
最初はうまくいかなくても、自分に合った道を見つけて進んでいく姿が、まさに“成長物語”ですね。
そして勉強も手を抜かず、文武両道!
中学時代は学習塾・成基学園アストロにも通いながら、勉学にも励んでいたとのこと。
スポーツだけじゃなく、勉強にも真剣に向き合う姿勢。
地道な努力が山西さんらしいです。
高校時代
京都市立堀川高校に通ってたって聞くだけで「おぉ…!」ってなる。
偏差値は67〜72、京都の公立ではトップ、全国でもトップ100に入る名門校。
そんな学校に在籍してたなんて、やっぱり頭の使い方が違うんだろうなって思っちゃいます。
山西さんが競歩に出会ったのは、堀川高校の陸上部で先輩が歩いている姿を見たことがきっかけ。
最初は長距離の練習の一環として始めた競歩でしたが、すぐに頭角を現し、高校2年でインターハイ2位、3年で優勝という快進撃。
さらに、世界ユース選手権で金メダルを獲得し、日本人初の快挙を達成しました。
見よう見まねで始めた競歩が、世界への扉になるなんて…まさに運命の出会いですね.

大学時代
競歩の練習と両立しながら、地道に勉強を積み重ねて現役合格を勝ち取りました。
「どちらも妥協したくなかった」と語っていたようです。
仲間との関係
指導者不在の京大陸上部。
競歩専門のコーチがいない中、山西さんは仲間と一緒に試行錯誤しながら練習メニューを組み立てていました。
同じ競歩選手の仲間と「どうすれば速くなるか」を議論し、互いに動画を撮ってフォームを研究するなど、自分たちで育て合うスタイルだったそうです。
山西さんは「仲間がいたから、孤独じゃなかった」と語っており、競技の厳しさを分かち合える存在がいたことが、大学時代の支えになっていたようです。
経歴
山西利和さんの大学時代(京都大学工学部)
年次 | 主な出来事・成果 | 補足 |
---|---|---|
2014年 | 京都大学工学部物理工学科に現役合格 | 高校時代はE判定からの逆転合格 |
2015年 | 陸上部で競歩を継続、仲間と自主練習 | 指導者不在の中、仲間と試行錯誤 |
2016年 | インカレ(日本学生陸上競技対校選手権)優勝 | 国内学生トップレベルに |
2017年 | ユニバーシアード金メダル(台北) | 国際大会で初の金メダル獲得 |
2018年 | 京大卒業後、愛知製鋼に入社 | 社会人競技者として新たなスタート |
山西利和さんの社会人時代の経歴(愛知製鋼所属)
年度 | 主な出来事・成果 | 補足 |
---|---|---|
2018年 | 愛知製鋼に入社 | 社会人競技者として活動開始 |
2019年 | 世界陸上(ドーハ)金メダル | 日本人初の20km競歩世界王者 |
2020年 | 東京オリンピック代表に内定 → 銅メダル獲得 | 札幌開催、過酷な条件下での快挙 |
2022年 | 世界陸上(オレゴン)金メダル(2連覇) | 日本勢初の2大会連続優勝 |
2025年 | 日本選手権20km競歩で世界新記録(1:16:10) | 世界選手権代表に内定 |
厚底シューズ
山西利和選手が厚底シューズと出会ったきっかけは、2023年の日本選手権での失格でした。
それまでミズノ製のシューズを使っていた山西選手ですが、競歩界でも厚底シューズが主流になり始めたことで、対応を迫られるようになったのです。

失格
2023年の大会で、厚底シューズの反発力にフォームが対応できず、歩型が乱れて失格しました。
この経験がフォームを見直す必要があると気づく大きな転機になったといわれています。
失格という結果は、トップ選手にとって大きな痛手だったはずです。
でも山西選手はその悔しさをただの失敗で終わらせず、「自分の歩き方を一から見直す」という覚悟を持って前に進みました。
交流
引退も考えた時期に、イタリアの金メダリスト・スタノ選手と合同練習を行いました。
その中で、厚底シューズを使いこなすための体づくりや技術を学んでいったようです。
トップ選手同士の交流が、再起へのきっかけになるなんて素敵ですね。
迷いの中でも前を向いた姿勢に、心を打たれます。
試行錯誤
海外製の厚底シューズを数えきれないほど試し履きしたとか。
最終的に、踏み込みやすくてコントロールしやすいニューバランス製の厚底シューズにたどり着いています。
「スピードは出しやすいがコントロールは難しい。踏み込みやすい靴を選んだ」と一般的なシューズより靴底が広いニューバランスを選択した。「あの靴を使っているのは僕だけなので、おかしいのは僕だと思う」 引用元:スポーツ報知
ニューバランスの厚底シューズ(FuelCell SuperComp Elite v4)を使っていると公表しています。

引用元:Note
つまり、山西選手が厚底シューズと出会ったのは「流行だから」ではなく、競技人生をかけた挑戦の中で必要に迫られたからなんですね。
その出会いが、世界新記録という結果につながったのは、本当にドラマチックです。
まとめ
山西利和さんは、父が転勤族だったこともあり、幼少期は何度も転校を経験しました。
環境の変化に柔軟に対応しながら育ったその姿勢は、後の競技人生にもつながっています。
高校は文武両道で知られる京都市立堀川高等学校に進学。
県内屈指の進学校でありながら、競歩でも全国トップレベルの成績を収め、現役で京都大学工学部に合格しました。
大学では専門のコーチが不在の中、仲間たちと練習方法を話し合い、互いに切磋琢磨しながら競技に取り組みました。
自ら考え、支え合うスタイルで、国内外の大会でも結果を残し、競歩界での地位を築いていきます。
近年は厚底シューズが主流となる中、2023年の大会でフォームが乱れ失格となったことが大きな転機に。そこから体力づくりや技術の見直しに本格的に取り組み、歩型の再構築を進めました。
現在はニューバランスの厚底シューズ「FuelCell SuperComp Elite v4」を愛用。
2025年にはこのシューズを履いて世界新記録を樹立し、競歩界に新たな歴史を刻みました。
これからも、山西利和さんのさらなる挑戦と進化から目が離せません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 yuzuhana
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